虞氏(ぐし) ※曹叡(そうえい)の妻

【姓名】 虞氏(ぐし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 河内郡(かだいぐん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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魏(ぎ)の曹叡(そうえい)のもと正室

父母ともに不詳。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・明悼毛皇后伝〈めいとうもうこうごうでん〉)によると、曹叡が平原王(へいげんおう。222~226年)だったころの王妃。

しかし、226年に曹叡が即位した後も皇后には立てられず、やがて鄴宮(ぎょうきゅう)に帰されたという。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

『三国志』(魏書・明悼毛皇后伝)には、曹叡の即位後に皇后に立てられなかった虞氏を、太皇太后の卞氏(べんし)が慰めて励ました話が載せられており――。

「虞氏は『もともと曹氏は身分の卑しい者を皇后に立てるのがお好きで、道理に従ったことは一度もございません』などと言ったうえ、『そのせいで国が滅び、祭祀(さいし)も断絶することになりましょう』とも言った。そのため虞氏は退けられて鄴宮に帰された」とありました。

虞氏の出自に関する記事はないようですけど、上の話からすると相当な名家の出身だったのでしょう。

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