孫高(そんこう)

【姓名】 孫高(そんこう) 【あざな】 ?

【原籍】 ?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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孫翊(そんよく)配下の帳下(ちょうか。旗本)

父母ともに不詳。呉(ご)の孫権(そんけん)の一族なのかは不明。

204年、孫高が長く仕えていた丹楊太守(たんようたいしゅ)の孫翊が、嬀覧(きらん)と戴員(たいうん)の意を受けた辺鴻(へんこう。辺洪)に殺害された。

嬀覧は役所に居座り、孫翊の嬪妾(そばめ)や侍女に加え、妻の徐氏(じょし)まで自分の物にしようとした。

徐氏は月末の法事を理由に時間稼ぎをする一方、この間に孫高や傅嬰(ふえい)らを呼び、嬀覧誅殺の助力を頼んだ。

やがて、徐氏の使いから喪が明けたことを伝えられた嬀覧が、のこのこと部屋を訪ねると、徐氏の声に応じて孫高と傅嬰が飛び出し、見事に嬀覧を討ち取った。ほかの者も時を移さず、別の場所で戴員を討ち取った。

まもなく丹楊にやってきた孫権は、嬀覧と戴員の残党を根絶やしにしたうえ、孫高と傅嬰は牙門将(がもんしょう)に抜てきされたという。

管理人「かぶらがわ」より

孫翊の妻の徐氏は、夫のあだ討ちを果たしたことで評判になりましたが、これは孫翊への忠誠を貫いた孫高らの活躍あってのものですね。

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