機が熟したと見た司徒(しと)の王允(おういん)は、自身の別荘である竹裏館(ちくりかん)に呂布(りょふ)を招き入れ、董卓(とうたく)の誅殺計画を打ち明ける。
李粛(りしゅく)が扮(ふん)する偽勅使にまんまと騙(だま)された董卓は、数千の護衛を引き連れて郿塢(びう)から長安(ちょうあん)へ向かう。
第039話の展開とポイント
(01)長安の郊外
董卓が郿塢へ帰ると聞こえると、長安の大道は拝跪(はいき)する市民と朝野の貴人で埋まった。このとき呂布は自邸にいたが、巷(ちまた)のうわさを聞き、長安の外れまで馬を飛ばす。
丘のすそに駒を止め、大樹の陰から車列を眺めていた呂布は、その中の一車に貂蟬(ちょうせん)の姿を見つける。
呂布は呆然(ぼうぜん)と車列を見送りながら、董卓が貂蟬を手放すとの李儒(りじゅ)の言葉が偽りだと知った。というより、董卓が頑として手放さないのだと思った。
すると、司徒の王允が声をかけてくる。ここは王允の別業(べっそう)である竹裏館のすぐ前だった。
(02)竹裏館
王允は相談があると言い、呂布を竹裏館の一室に招く。
ここで王允は、貂蟬の一件で董卓以上に天下の人から笑い辱められるのは、約束の義を欠いた自分と、女房を奪われた形の呂布だと言う。
呂布は、董卓を殺してこの恥をすすいでみせると誓い、王允を喜ばせた。
その夜、王允は日ごろからの同志である校尉(こうい)の黄琬(こうえん)と僕射士(ぼくやし)の孫瑞(そんずい)を呼び、自分の考えを打ち明ける。
★吉川『三国志』では僕射士の孫瑞としていたが、『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・董卓伝)によると、尚書僕射(しょうしょぼくや)の士孫瑞(しそんずい)とするのが正しい。
孫瑞は偽の勅使を郿塢へ遣わし、献帝(けんてい)が帝位を譲るとの(偽りの)詔(みことのり)を下したとして、董卓をおびき寄せ誅戮(ちゅうりく。罪をとがめて殺すこと)するという策を出す。
この策に王允らも同意。禁門(宮門)に大勢の武士を伏せておき、参内した董卓の車を囲んで殺す役を呂布に、郿塢への偽勅使の役を騎都尉(きとい)の李粛に、それぞれ任せることにした。
★ここで孫瑞が、李粛とは同国の人間だと言っていた。だが、孫瑞のモデルであるはずの士孫瑞は扶風郡(ふふうぐん。右扶風〈ゆうふふう〉)の出身なので……。呂布と同郷で五原郡(ごげんぐん)の出身の李粛と孫瑞が同郷だというのはおかしい。なお『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第9回)では、士孫瑞は李粛が呂布と同郡出身だとしか言っていなかった。
翌日の夜、王允は呂布を呼び計画を伝えると、深夜に密かにふたりで孫瑞邸を訪ね、そこで食客となっていた李粛に会った。
(03)孫瑞邸
呂布と王允から密謀を聞いた李粛は喜び、即座に誓いを立てて計画に加担する。3人は万事を示し合わせ、その2日後、李粛は20騎ほどを従えて郿塢に向かった。
(04)郿塢
李粛は勅使と称して董卓に会い、天子(てんし。献帝)がたびたびの病により、ついに帝位を譲ることを決意されたと伝える。董卓は包みきれない喜びに、その老顔をパッと赤くした。
董卓は帝位に即くことを貂蟬や90余歳になる母に話した後、盛装を凝らして車に打ち乗り、数千の精兵に護られ郿塢山を下る。
管理人「かぶらがわ」より
王允の計画はいよいよ最終段階へ――。董卓を仕留める役に呂布を据え、万全の態勢を整えました。
李粛は偽勅使としての再登場でしたが、史実の彼は10人余りの手勢をひきい、皆で衛士の服を着て偽衛士になっていました。そして、これは呂布の命令を受けてのことでした。
董卓が宮門に到着すると、まず李粛らが入門を阻んだということなので、彼も董卓誅殺時に活躍したと言えますね。
なお、この第39話のタイトルに使われている「天颷」は、『角川 新字源 改訂新版』(小川環樹〈おがわ・たまき〉、西田太一郎〈にしだ・たいちろう〉、赤塚忠〈あかつか・きよし〉、阿辻哲次〈あつじ・てつじ〉、釜谷武志〈かまたに・たけし〉、木津祐子〈きづ・ゆうこ〉編 KADOKAWA)には「天飆」として収録されており、「天にふきすさぶ大風。飆は、つむじ風」とありました。
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