猇亭(おうてい)で勝利を収め、呉軍(ごぐん)を追撃する途中、関興(かんこう)は父の敵(かたき)である潘璋(はんしょう)に出くわす。
関興は潘璋を追いかけて山中に入るも、道に迷ったうえ夜を迎える。そこで一軒の山家に泊めてもらったが、やがて同じく道に迷った潘璋も、この家にたどり着く。
第253話の展開とポイント
(01)猇亭
奮迅奮迅、帰るも忘れて、呉の勢を追いかけた蜀(しょく)の関興は、乱軍の中で父の関羽を殺した潘璋に出会ったのである。
関興は逃げ走る潘璋を追って山中まで入ったが、その仇(あだ)は見失ってしまい、道に迷って闇夜をさまよっていたのだった。
(02)とある山家
関興は一軒の山家に立ち寄り、一飯一宿の恩を乞う。老翁に導かれて内なる一堂へ立つやいな、驚いて拝伏した。正面の小さい壇に明々と灯を照らし、亡父の関羽の画像が祭られていたのである。
関興が素性を明かして訳を尋ねると、老翁は答えた。
「この地は、かつて関将軍(関羽)が治めたもうた領地でした。将軍の生けるうちすら、私どもはご恩徳を頌(たた)えて、家ごとに朝夕拝しておりました。いわんや今、神明と帰したもうをや」
老翁は関興をねぎらい、この奇縁を喜び、床下に蓄えていた酒瓶(さかがめ)を開き、夜もすがら歓待した。すると深夜、外から扉を激しく叩く者がある。
「開けろ。ここを開けろ! それがしは呉の大将の潘璋だが、道に迷って困却いたした。朝まで母屋を貸してくれ」
これを聞いた関興は外へ躍り出るやいな、「父の仇、潘璋、逃げるなかれ!」と、組みついた。
不意を食った潘璋は組み敷かれ、ついに首を搔(か)かれてしまう。関興は歓喜して、首を馬の鞍脇(くらわき)にくくりつけると、老翁に別れを告げて立ち去る。
そのころ、ふもとから潘璋の部下の馬忠(ばちゅう)が登ってきた。見ると、主人の潘璋の首を鞍に付けた若武者が下りてくる。
しかもその手に抱えているのは、主人が関羽を討ったとき功により呉王(ごおう。孫権〈そんけん〉)から賜った、関羽が遺愛の有名なる偃月(えんげつ)の青龍刀だ。
馬忠が打ってかかると、関興も力を尽くして戦う。このとき一彪(いっぴょう)の軍馬が炬火(たいまつ)を振って登ってくる。劉備(りゅうび)の命を受けて、関興を捜しに来た張苞(ちょうほう)の一軍だった。
(03)猇亭 劉備の本営
これを見た馬忠が逃げると、関興は張苞と手を携えて味方の本陣へ帰り、劉備に潘璋の首を献ずる。
(04)猇亭 呉の軍営
会戦このかた、連戦連敗の呉軍は、さらに潘璋を失ってから、士卒の間に「とても蜀にはかなわぬ」という空気が漂ってきた。
もともとこの軍には、先に関羽のもとを離れ、呉の呂蒙(りょもう)に降参した荊州兵(けいしゅうへい)が多い。そのため蜀帝に対しては戦わぬうちから一種の畏怖を抱いていたし、中には二心の者も相当にあった。
それらの兵は、この負け続きの虚に乗って不穏な兆候を現す。
「蜀の天子(てんし。劉備)が憎んでいる者は、裏切って関将軍を敵に売った糜芳(びほう。麋芳)と傅士仁(ふしじん)だ。だからあのふたりの首を取って、蜀帝の陣に献上申せば、きっと重き恩賞を下さるに違いない」
★傅士仁は、正史『三国志』では士仁とある。傅は衍字(えんじ。間違って入った不用の文字)だという。
糜芳と傅士仁は身の危険を感じだすと、一夜、馬忠の寝首を搔いた。そしてその首を手に脱走し、蜀の陣へ駆け込む。
(05)猇亭 劉備の本営
糜芳と傅士仁を見ると、劉備は怒龍のごとき激色をなして罵り、ふたりを関興に授け、首を刎(は)ねて関羽の霊を祭るよう言った。
関興は小躍りして、ふたりの襟髪をつかみ、父の霊前まで引きずっていき、首を斬って供える。
★『三国志演義(5)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第83回)では、劉備自ら刀を振るい、糜芳と傅士仁を斬り殺していた。
本望を遂げた関興の喜びに引き替え、張苞はひとりしおれていた。劉備はその心事を察し、こう言っていたわる。
「まだ汝(なんじ)の亡父を慰めてやれぬが、やがて呉の国に討ち入り、建業(けんぎょう)の城下へ迫る日は、必ず張飛(ちょうひ)の仇もそそがずにはおかぬ。張苞よ、悲しむなかれ」
ところがすでにこのころ、その仇なる范疆(はんきょう。范彊)と張達(ちょうたつ)の両名は、身を鎖で縛められて檻車(かんしゃ)に乗せられ、呉の建業から差し立てられていた。
これは相次ぐ敗戦の悲報を受け、呉の重臣の一部に急激に和平論が台頭したことによるもの。もちろん、主戦派の猛烈な論争も火のごとく駁(ばく)されたが、結局、一日戦えば一日、呉の地が危なく見えてきたので、孫権もそれに同意する結果となった。
呉の使者として程秉(ていへい)が猇亭へ遣わされた。程秉は檻車の中に捕らえた范疆と張達の二醜とともに、沈香(ジンコウ)の銘木で作った箱に塩浸しとした張飛の首を封じ、併せて劉備の前に差し出す。
劉備はこれを収め、二醜を張苞の手に任せる。
張苞は額を叩くと、「これぞ、天の与えか」と、躍りかかって檻車の鉄扉を開き、ひとりずつつかみ出し、猛獣を屠殺(とさつ)するごとく斬り殺した。
ふたりの首を父の霊前に供え、張苞は声を上げて泣く。程秉はこの様子を眺め、おぞけを震った。
劉備は沈黙している。そこで程秉は、こう告げて回答を促す。
「主君の仰せには、呉妹君(孫権の妹の孫氏)をもとの室へお返しして、再び長く好誼(よしみ)を結びたいと、切に希望しておられる次第ですが……」
劉備は明瞭に、その媚態(びたい)外交を一蹴。そして明らかに宣した。
「朕の願いはこれしきのことにとどまらん。呉を討ち、魏(ぎ)を平らげ、天下ひとつの楽土を現じ、光武(こうぶ。劉秀〈りゅうしゅう〉)の中興に倣わんとするものである」
管理人「かぶらがわ」より
関羽と張飛の最期に関わった人々が、一挙に始末されていた第253話。
関興や張苞はもちろん、劉備をはじめとする蜀の面々から見れば、ここでの出来事は快挙なのでしょうが――。それでは関羽や張飛には何の落ち度もなかったのか、という疑問は残ります。
潘璋や馬忠は呉から見れば功臣と言えますし、范疆と張達の暴挙も決して理由のないものではなかったですし……。
一方的に蜀ばかりを持ち上げられると、どうしてもあまのじゃく的な物言いになってしまうのですよね。
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吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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