【姓名】 曹穆(そうぼく) 【あざな】 ?
【原籍】 譙郡(しょうぐん)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~229年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
魏(ぎ)の曹叡(そうえい)の息子、繁陽王(はんようおう)
父は曹叡だが、母は不詳。兄弟には曹冏(そうけい)と曹殷(そういん)がいる。
曹穆は228年9月に繁陽王に封ぜられたが、翌229年6月に薨去(こうきょ)した。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
曹穆の生年がわからないため、曹冏が兄なのか弟なのかは断定できません。
ただ、曹冏が清河王(せいかおう)に封ぜられたのは226年なので、おそらく曹穆のほうが弟でしょう。曹殷は231年生まれですから、曹冏や曹穆の弟になります。
曹叡の息子たちは関連記事が少ないこともあり、どうしても早世が目立ちます。
生後1年も経たずに亡くなった曹殷は乳児期の病気だったのかもしれませんが、次々に跡継ぎ候補が亡くなっていくのは嫌な感じ。
当時の状況を考えれば、不思議なことではないのでしょうか?
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