【姓名】 孫布(そんふ) 【あざな】 ?
【原籍】 ?
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
呉(ご)の孫権(そんけん)配下の中郎将(ちゅうろうしょう)
父母ともに不詳。呉の孫権の一族なのかは不明。
231年、孫布は揚州(ようしゅう)へ使者を遣り、魏(ぎ)に降伏したい旨を伝えたうえで、迎えの軍勢を出してほしいと頼む。だが、これは計略だった。
魏の満寵(まんちょう)は偽りと見抜いたが、揚州刺史(ようしゅうしし)の王淩(おうりょう)には見抜けなかった。
ちょうど満寵は曹叡(そうえい)に召されて入朝しなくてはならなかったため、留府長史(りゅうふちょうし)に、王淩から要請があっても兵を与えないよう命じておいた。
王淩は兵を要求したものの認められず、やむなく配下の督将(とくしょう)に700の歩騎を付けて孫布を迎えに行かせた。孫布が夜に紛れて襲撃すると、督将は逃走し、魏兵の半数以上が死傷した。
このとき孫権も自ら阜陵(ふりょう)に大軍を伏せて待ち受けたが、王淩は異変を感じて逃げ去った。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
この孫布の名が正史『三国志』に見えるのは、上で挙げた魏への佯降策(ようこうさく)がらみの場面だけなので、詳しい経歴などはわかりませんでした。
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