華雄(かゆう)が討ち死にしたと聞いた董卓(とうたく)は、汜水関(しすいかん)へ5万の援軍を送るとともに、自身も15万の大軍をひきいて虎牢関(ころうかん)まで出向く。
反董卓連合軍の諸侯もふた手に分かれて対応するが、虎牢関を攻めた主力軍は呂布(りょふ)の剛勇に手を焼いた。
第028話の展開とポイント
(01)汜水関
華雄が討たれると副将の李粛(りしゅく)は仰天し、洛陽(らくよう)の董卓に急を告げた。董卓からは、とりあえず援軍が着くまで関を出るなとの命令が届く。
(02)洛陽 丞相府(じょうしょうふ)
董卓は、袁紹(えんしょう)の叔父の袁隗(えんかい)が太傅(たいふ)として洛陽にいることを思い出し、1千余騎の兵を向けて屋敷を襲撃させる。屋敷には表と裏から火が放たれ、逃げ出してくる男女の召し使いや武士は皆殺しになり、袁隗も殺されてしまった。
★ここで袁隗を袁紹の叔父としていたが、先の第21話(05)では袁紹の伯父としていた。なお袁隗は、ここで言うように袁紹の叔父とするのが正しい。
即日20万の大軍が洛陽を発する。一手の5万余騎は李傕(りかく)と郭汜(かくし)にひきいられ、汜水関の救援へ向かった。もう一手の15万は董卓自身がひきい、虎牢関の固めに赴く。
董卓を守る旗本の諸将には李儒(りじゅ)や呂布をはじめとして、張済(ちょうさい)や樊稠(はんちゅう)など錚々(そうそう)たる顔ぶれがそろっていた。
(03)虎牢関
虎牢関は洛陽から南に50余里にあり、ここの天険に10万の兵を鎮すれば、天下の諸侯は通路を失うと言われる要害だった。董卓は関に本営を定めると、股肱(ここう)の呂布に3万の精兵を授けて関外に陣取らせた。
(04)反董卓連合軍 袁紹の本営
さっそく袁紹らは評議を開き、敵がふた手で南下してきたのに合わせ、こちらも一部を汜水関の戦場に残し、あとはみな虎牢関へ向かうことにした。
虎牢関へ向かったのは、王匡(おうきょう)・鮑信(ほうしん)・喬瑁(きょうぼう。橋瑁)・袁遺(えんい)・孔融(こうゆう)・張楊(ちょうよう)・陶謙(とうけん)・公孫瓚(こうそんさん)など。これに曹操(そうそう)も遊軍として臨む。
(05)虎牢関
河内太守(かだいたいしゅ)の王匡が配下の猛将の方悦(ほうえつ)とともに呂布軍に迫ると、両軍が100歩の距離まで近づいたところで呂布自身も王匡軍へ突入する。
方悦は槍(やり)を突っかけたものの、2、3合も戦わぬうちに、呂布の方天戟(ほうてんげき)の下に馬もろとも斬り下げられた。
★『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第5回)では、(呂布と方悦の)両馬が馳(は)せ違い、5合も戦わないうちに、呂布は方悦を戟でひと突きして馬から落とした。
王匡が引き返したところで、喬瑁と袁遺の両軍が呂布軍を両翼から押し狭めたが、呂布の赤兎馬(せきとば)はひるまずに奮戦を続ける。
上党太守(じょうとうたいしゅ)の張楊の配下に名槍家(めいそうか)の穆順(ぼくじゅん)という者がいたが、その穆順の槍をもってしても、呂布と戦っては苦もなく真っぷたつにされてしまった。
また、北海太守(ほっかいたいしゅ)の孔融の身内に武安国(ぶあんこく)という大力者がいたが、その武安国も呂布の前に立っては嬰児(あかご)のように扱われ、片腕を斬り落とされて味方の内へ逃げ込んだ。
袁紹は曹操と相談し、汜水関に回していた10か国の諸侯に向け、虎牢関へ集まるよう軍令を発する。
そうしていたとき呂布が本営に押し寄せ、袁紹は雑兵の群れに紛れ込み難を逃れた。さらに呂布は公孫瓚の陣を蹴散らしにかかり、逃げ走る公孫瓚を追いかけていると、横合いから突として張飛(ちょうひ)が挑んできた。
呂布は鉄甲や馬装が甚だ貧弱であるのを見て、敵の一歩弓手(いちほきゅうしゅ)にすぎないと考え相手にしなかったが、張飛は諦めずに打ってかかる。
呂布は張飛の手並みに驚き、張飛もまた呂布の剛勇に舌を巻くが、やがて張飛の蛇矛(じゃぼう)が乱れ始める。
★『三国志演義 改訂新版』(立間祥介〈たつま・しょうすけ〉訳 徳間文庫)の訳者注によると、「(蛇矛は)穂先が蛇のように曲がっている矛」だという。
そこへ劉備(りゅうび)と関羽(かんう)が加勢する。
★ここでは「玄徳(げんとく。劉備のあざな)は左右の手に大小の二剣を閃(ひらめ)かし……」とあり、劉備が両刀遣いという設定になっていた。それはいいのだが、関羽と張飛が呂布と戦っているところに加わり、劉備が無事で済むとは思えない。
3人を相手にしてもなお呂布には余裕が感じられたが、しばらくすると引き返していく。劉備・関羽・張飛は後を追うが、呂布の赤兎馬には追いつけなかった。
呂布は虎牢関へ逃げ込むことができたが、配下の兵士の大半は関へ入れないうちに討たれてしまう。
意気を改めた反董卓連合軍は総掛かりで関へ迫る。だが関は依然として鉄壁で、城壁にすがりつき、よじ登ろうとした張飛も、櫓(やぐら)の上から巨木や岩石が雨のごとく落ちてくると、関羽に諫められ100歩ほど退くことになった。
この日の激戦はこうして引き分けとなる。世に伝え、これを「虎牢関の三戦」と言う。
管理人「かぶらがわ」より
討ち死にした方悦と穆順に、片腕を斬り落とされた武安国。いよいよ呂布の武勇が発揮され始めます。パッと出てパッと消える人物が多いのもまた『三国志』なのですよね……。
その呂布と戦う張飛に対し、関羽は当然の加勢としても、劉備まで加わってはかえって足を引っ張るよなぁと思われた第28話でした。
テキストについて
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吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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