呂布(りょふ)に占拠された小沛(しょうはい)から、かろうじて脱出できた劉備(りゅうび)。許都(きょと)を目指して単騎で逃げ延びるうち、孫乾(そんけん)と配下の数十騎が合流する。
そしてさらに道を急ぐと、梁城(りょうじょう)の近くで曹操(そうそう)自身がひきいる援軍に運よく出会えた。戦況を聞いた曹操は、さっそく小沛の奪回に乗り出す。
第072話の展開とポイント
(01)小沛
城内が呂布軍に蹂躙(じゅうりん)されるに及び、劉備は西門から脱出。小沛から遠く落ちたときにはただ一騎となる。
呂布は小沛を占領すると糜竺(びじく。麋竺)を呼び、劉備の妻子を預けた。そして徐州城(じょしゅうじょう)へ移して固く守るよう命じ、自分の佩剣(はいけん)を授け、狼藉(ろうぜき)する兵は斬ってもよいと告げた。
呂布は高順(こうじゅん)と張遼(ちょうりょう)を小沛に留め、自身は兗州(えんしゅう)の境まで進み、威を振るって敗残の敵を狩り尽くそうとする。関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)・孫乾らの行方を捜したものの、ついに彼らは網の目にかからなかった。
(02)逃走中の劉備
許都を目指す劉備がただ一騎で旅を続けるうち、ある谷あいで孫乾と数十騎の味方に合流。こうして主従は道を急いだ。
(03)わびしき山村
劉備らが村にたどり着くと、うわさを聞いた老幼や女子どもまでが走り出て路傍に座り、その姿を拝して涙を流す。
村人たちは食べ物を捧げたり、ひとりの老媼(おうな)は着物の袖で劉備の泥沓(どろぐつ)を拭いたりもした。
その夜、劉備らは猟師の家に泊めてもらう。劉備が尋ねたところ、家の主は漢家(かんか。漢の宗室)の流れをくむ劉氏の苗裔(びょうえい)で、劉安(りゅうあん)と名乗った。
劉安は肉を煮て供したが、劉備主従から聞かれると狼(オオカミ)の肉だと答える。
ところが翌朝の出発に際し、孫乾が馬を引き出そうと何げなく厨(くりや)をのぞくと、女の遺体があった。
驚いた孫乾がただすと、劉安は泣いて自分の妻だと明かし、家が貧しく供すべき物もなかったため妻の肉を煮て捧げたと答える。
話を聞いた劉備は都(許都)に上って仕官するよう勧めたが、劉安は病気の老母がいることを理由に断った。
★ここで異例としながらも、著者の吉川先生ご自身が、劉安が妻の肉を煮て劉備に供したというくだりに注釈を加えられていた。
(04)梁城の近郊
劉備が劉安の家を発ち梁城の近くまで来ると、彼方(かなた)から来た曹操ひきいる大軍と巡り会う。曹操は劉安の義俠(ぎきょう)を聞くと若干の金を届けさせた。
★『三国志演義(2)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第19回)では、劉備から話を聞いた曹操は孫乾に命じ、劉安に金100両を届けさせたとある。
(05)済北(さいほく)
済北に到着した曹操は、夏侯惇(かこうじゅん)から負傷した片目を食べてしまった話を聞き、許都へ帰って治療するよう言う。
★夏侯惇が片目を負傷したことについては、前の第71話(09)を参照。
そして諸将から現状を聞き取ると、まずは小沛の奪回を目指す。
曹操は劉備とともに山東(さんとう。崤山〈こうざん〉・函谷関〈かんこくかん〉以東の地域。華山〈かざん〉以東の地域ともいう)の境へ突出し、遥か蕭関(しょうかん。蕭県〈しょうけん〉)をうかがう。
蕭関の方面には、泰山(たいざん)の強盗群である孫観(そんかん)・呉敦(ごとん)・尹礼(いんれい)・昌豨(しょうき)らの賊将が、手下のあぶれ者3万余を糾合し待ち構えていた。
(06)泰山
曹操が許褚(きょちょ)に先駆けを命ずると、孫観や呉敦らは馬首をそろえて応戦。だが、ひとりとして許褚の前に久しく立っていることができない。蕭関へと逃げ崩れる山兵は曹操軍の急追を受け、その死骸が谷を埋め、峰を赤く染めた。
その間に曹仁(そうじん)は手勢3千余騎をひきい、間道を縫って小沛の搦(から)め手(城の裏門)から攻めかけた。
(07)徐州
兗州から戻ったばかりの呂布だったが、小沛の急を聞き自ら防戦に向かう。陳珪(ちんけい)を城に残す一方、息子の陳登(ちんとう)には従軍を命じた。
陳珪と陳登は密室に隠れ、呂布が徐州から出陣した後の手はずを整える。
呂布は閣外の勢ぞろいに遅れたことをとがめるが、陳登は留守の大役を案ずる父を励ましていたと答える。
父の陳珪が、今回の戦では事態が急に迫ったとき、にわかに城中のご一族や金銀兵糧を移すことができないと、ひどく心配していたとも話す。
これを聞いた呂布は糜竺を招き、陳珪とともに城に残り、わが妻子や金銀兵糧などをすべて下邳(かひ)へ移しておくよう言いつけた。
(08)行軍中の呂布
こうして小沛に向かった呂布のもとに、蕭関が危ないとの知らせが届く。そこで道を変え、蕭関の敵軍を食い止めようとする。
すると陳登が諫め、先に数十騎を連れて蕭関へ行き、陣中の様子を見たうえで戻ってくると言い、呂布の許しを得た。
(09)蕭関
陳登は陳宮(ちんきゅう)と臧覇(ぞうは。臧霸)に会って戦況を聞き、なぜか呂布が蕭関へ進もうとしないと告げる。訳がわからず、顔を見合わせる陳宮と臧覇。
その夜、陳登は密かに高櫓(たかやぐら)に登り、遥か曹操の陣地とおぼしき闇の火へ向かって一通の矢文を射込み、何食わぬ顔で戻っていく。
★井波『三国志演義(2)』(第19回)では、陳登は続けざまに三通の手紙を書き、闇に乗じて矢にくくりつけると関の下へ向けて放ったとある。
管理人「かぶらがわ」より
曹操自ら討伐に乗り出し、だいぶ苦しくなってきた呂布。その足元では陳珪と陳登父子の計略が着々と進行しています。
妻の肉を煮て客をもてなす話は、確かに日本人の感覚だと美談とは感じません。ですがこういった感覚の違いもまた、『三国志演義』が成立した当時(明代〈みんだい〉)の考え方として興味深いですね。
なお、この第72話のタイトルに使われている「黒風」は暴風のことです。「白雨」はにわか雨といったところでしょうか。
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『三国志』(全10巻)
吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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