【姓名】 荀惲(じゅんうん) 【あざな】 長倩(ちょうせん)
【原籍】 潁川郡(えいせんぐん)潁陰県(えいいんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 第061回で初登場。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・荀彧伝』に付された「荀惲伝」あり。
荀彧の息子
父は荀彧だが、母は不詳。妻は曹氏(そうし。曹操〈そうそう〉の娘。安陽公主〈あんようこうしゅ〉)。
荀俁(じゅんぐ)・荀詵(じゅんしん)・荀顗(じゅんぎ)・荀粲(じゅんさん)は弟。このほかにふたりの弟(名は不詳)と陳羣(ちんぐん)に嫁いだ姉妹がいた。
息子の荀甝(じゅんかん)は跡継ぎで、荀霬(じゅんよく)も同じく息子。
212年、荀惲は荀彧が死去したため跡を継ぎ、万歳亭侯(ばんざいていこう)に封ぜられた。官位は虎賁中郎将(こほんちゅうろうしょう)まで昇った。
初め曹丕(そうひ)と弟の曹植(そうしょく)との間で(どちらを魏の王太子にするか)比較の議論が行われていたとき、曹丕は礼の規範を曲げてまで荀彧にへりくだる態度を取った。
ところが荀彧が亡くなると、荀惲は曹植と親しくし、曹丕と親しい夏侯尚(かこうしょう)とは折り合いが悪かった。このことから、曹丕はひどく荀惲を憎んだという。
荀惲は若死に(時期は不明)し、息子の荀甝が跡を継いだ。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
特にこれといった事績は書かれていませんが、曹植と親しくしていたことと荀惲の若死には無関係ですよね?
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