【姓名】 何祗(かし) 【あざな】 君粛(くんしゅく)
【原籍】 蜀郡(しょくぐん)
【生没】 ?~?年(48歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
特異な才能を活かして治績を上げる
父母ともに不詳。
何祗は若いころ貧乏だったが、寛容で人情に厚く、さばけた性格で体つきが甚だ立派だった。またよく飲み食いし、音楽や女色を好んで節度がなかったため、彼のことを尊重する者は少なかったという。
以前、何祗は井戸の中に桒(くわ。桑の俗字)が生えている夢を見た。そこで夢占いの趙直(ちょうちょく)に尋ねると、彼はこう答えた。
「桒は井戸の中に生えるものではありませんから、これを植え替えねばなりません。しかも『桒』の字は、四十の下に八と書きます。あなたの寿命は、おそらくそれ以上にならないでしょう」
これを聞いた何祗は笑って言った。
「それだけあれば十分だ」
初め何祗は郡に仕え、後に督軍従事(とくぐんじゅうじ)となる。
このころ諸葛亮(しょかつりょう)は法を厳格に運用していたが、何祗が遊びほうけていると聞くと、不意に、彼の担当する牢獄(ろうごく)の調査を命じた。
だが、何祗は密かに調査の件を聞き知ると、夜間に囚人を見て回り、それぞれの罪状書にも目を通した。
そして翌日の早朝に諸葛亮がやってくると、何祗はすべての暗記を終えており、何を聞かれてもスラスラと応答してみせる。その様子に、諸葛亮は彼を高く評価したという。
やがて何祗は成都県令(せいとけんれい)に転じたが、ちょうど郫県令(ひけんれい)が欠員になっていたのでふたつの県令を兼ねた。この両県は非常に戸数が多く、都に近いこともあって悪事を働く者も多かった。
何祗は人を取り調べる際によく居眠りしたが、悟るところがあるとすぐに偽りを見抜く。みな彼を恐れるようになり、秘術でも使っているのではないかとまで考え、あえて欺こうとする者がいなくなる。
また部下に算盤(そろばん)を持たせ、何祗は読み上げる声を聴いて暗算し、少しも食い違うことがなかった。
あるとき汶山(ぶんざん)の蛮族に不穏な動きが見られたので、何祗が汶山太守(ぶんざんたいしゅ)に任ぜられると、漢人や蛮人を問わず心服した。
何祗が広漢太守(こうかんたいしゅ)に転ずると、汶山の蛮族が反乱を起こし、「前任者の何府君(かふくん)がお戻りになれば、我らも安心できましょう」と言い訳した。
★府君は太守の敬称。
このとき何祗を辺地へ戻すのが難しかったため、代わりに彼の一族の者を抜てきして汶山太守に充てたところ、汶山の蛮族は落ち着きを取り戻す。
後に何祗は犍為太守(けんいたいしゅ)に転じ、趙直の言った通りに48歳で死去(時期は不明)した。
管理人「かぶらがわ」より
上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊洪伝〈ようこうでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く陳寿(ちんじゅ)の『益部耆旧伝(えきぶききゅうでん)』の雑記によるものです。
何祗が広漢太守を務めていたころ、重病にかかった張嶷(ちょうぎょく)の面倒を見たことについては、先に採り上げた張嶷の個別記事をご覧ください。それにしても、趙直の夢占いはよく当たりますね……。
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