【姓名】 曹嵩(そうすう) 【あざな】 巨高(きょこう)
【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~193年(?歳)
【吉川】 第010話で初登場。
【演義】 第001回で初登場。
【正史】 登場人物。
曹騰(そうとう)の養子で、魏(ぎ)の曹操(そうそう)の父、太皇帝(たいこうてい)
後漢(ごかん)の大宦官(だいかんがん)だった曹騰の養子。夏侯氏(かこうし)の出身ともいうが、父母ともに不詳。
曹嵩は、霊帝(れいてい)の時代に司隷校尉(しれいこうい)から抜てきされ、大司農(だいしのう)や大鴻臚(だいこうろ)を歴任。後に崔烈(さいれつ)に代わって太尉(たいい)まで昇った。
また、養父の曹騰から費亭侯(ひていこう)の爵位を継いでいる。
范曄(はんよう)の『後漢書(ごかんじょ)』(霊帝紀〈れいていぎ〉)によれば、崔烈の太尉就任は187年4月のこと。同年11月に崔烈が罷免され、大司農の曹嵩が太尉に就任している。
しかし、翌188年4月には曹嵩も太尉を罷免されており、在任期間は短い。この時期は特に三公の交代が頻繁に行われており、売官の影響も大きかった。
曹嵩は引退後、董卓(とうたく)が起こした騒乱のため、琅邪国(ろうやこく)へ避難する。
ところが193年、徐州牧(じょしゅうぼく)の陶謙(とうけん)配下の張闓(ちょうかい)に殺害されてしまう。
これに激怒した曹操が徐州に進軍。10余城を陥し、州内で大虐殺を行うに至った。
220年、曹嵩は魏を建国した曹丕(そうひ)から太皇帝と追尊された。
管理人「かぶらがわ」より
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)には「曹嵩の出自は明確にできない」という記事があります。
ただ『三国志』(魏書・武帝紀)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『曹瞞伝(そうまんでん)』および郭頒(かくはん)の『世語(せいご。魏晋世語〈ぎしんせいご〉)』によると、「曹嵩は夏侯氏の出で、夏侯惇(かこうとん)の叔父である。曹操は夏侯惇の従父兄弟(いとこ)にあたる」ということです。
また曹操の弟(なので曹嵩の息子になるはず)ということでは、曹彬(そうひん。薊恭公〈けいきょうこう〉)、 曹玉(そうぎょく。朗陵哀侯〈ろうりょうあいこう〉)、 曹徳(そうとく)、 海陽哀侯(かいようあいこう。曹姓だと思われるものの、名は不詳)といった名が見えていますが、各人の扱いが小さいため謎が残ります。
曹嵩の爵位(費亭侯)については『三国志』(魏書・武帝紀)の記事として、「196年6月に曹操が建徳将軍(けんとくしょうぐん)から鎮東将軍(ちんとうしょうぐん)に昇進した際、費亭侯に封ぜられた」とありました。
曹嵩の出世もそうですが、曹操の挙兵にも、曹騰が築いた財産が役立ったことは間違いないですね。
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