【姓名】 孫氏(そんし) ※名とあざなは不詳
【原籍】 ?
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
魏(ぎ)の曹操(そうそう)の側室、孫姫(そんき)
父母ともに不詳。曹操との間に、曹子上(そうしじょう)・曹彪(そうひゅう)・曹子勤(そうしきん)を儲けた。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・臨邑殤公子上伝〈りんゆうしょうこうしじょうでん〉)によると、「曹子上は早くに亡くなり、跡継ぎがいなかった」ということです。
それに続く「楚王彪伝(そおうひゅうでん)」には、「249年に兗州刺史(えんしゅうしし)の令狐愚(れいこぐ)が太尉(たいい)の王淩(おうりょう)と共謀し、曹彪を擁立しようと企んだ」とあり、曹芳(そうほう)から厳しく責任を問われた曹彪は、251年に自殺しています。
ただ、妃(きさき)と子どもたちはみな刑を許されて平民となり、平原(へいげん。地名)に移住させられました。
さらに、それに続く「剛殤公子勤伝(ごうしょうこうしきんでん)」によると、「曹子勤も早くに亡くなり、跡継ぎはいなかった」ということでした。
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