丁氏(ていし)B ※曹操(そうそう)の妻、丁夫人(ていふじん)

【姓名】 丁氏(ていし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 ?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 第212話で初登場。
【演義】 第068回で初登場。
【正史】 登場人物。

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魏(ぎ)の曹操(そうそう)のもと正室、丁夫人(ていふじん)

父母ともに不詳。曹操との間に子はなかったものの、劉氏(りゅうし)が生んだ曹昂(そうこう)を養育した。

197年、曹操が張繡(ちょうしゅう)に敗れた際、曹昂が戦死。丁氏は、この件で曹操を責め続けたため折り合いが悪くなり、郷里に帰される。

その後、曹操が自ら迎えに来たものの、これを拒絶し、ついに離縁された。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武宣卞皇后伝〈ぶせんべんこうごうでん〉)には、「建安(けんあん)の初年、正室の丁夫人が廃されたため、代わって卞氏(べんし)が正室に立てられた」とありました。

「建安の初年」というので196年のことかと思いましたが、曹昂の戦死は197年ですから上の話と合いません。

『国語辞典』で調べてみると、初年には「その年号の初めのころ」という意味もありました。ということで、文字通りの初年(196年)とは断定できず、196年ごろという意味合いとも考えられます。ここはイマイチすっきりしませんでした。

丁氏の離縁については、同じく「武宣卞皇后伝」の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『魏略(ぎりゃく)』に記事があり、まず丁氏が、亡くなった劉氏に代わって曹昂を養育した話が出てきます。

この曹昂が穣(じょう)で亡くなった後、丁氏が曹操をなじって号泣するようになり、これに腹を立てた曹操が丁氏を郷里に帰し、気持ちが折れるのを待つことにしました。

しかし、後に曹操が丁氏のもとを訪れると、丁氏は機織りをしたまま振り向きもせず、曹操の問いかけにも返答しなかった。こうして曹操は丁氏を離縁したのだと。

ただ『魏略』には後日談があり、「丁氏が離縁された後に正室となった卞氏は、昔の仕打ち(正室だったころの丁氏は、卞氏をまともに扱わなかったという)を恨みに思わず、曹操の不在時を見計らい、贈り物を届けさせたり丁氏を招待したりした」ということです。

また、後年に丁氏が亡くなった際も、「卞氏が曹操に頼み込んで埋葬の許しをもらい、丁氏は許城(きょじょう)の南に埋葬された」とありました。

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