杜摯(とし) ※あざなは徳魯(とくろ)

【姓名】 杜摯(とし) 【あざな】 徳魯(とくろ)

【原籍】 河東郡(かとうぐん)聞喜県(ぶんきけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・劉劭伝(りゅうしょうでん)』に付された「杜摯伝」あり。

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賦(ふ)をよくしたという学者

父母ともに不詳。

杜摯は初め「笳賦(かのふ)」を献上し、司徒軍謀祭酒(しとぐんぼうさいしゅ)に任ぜられる。

後に孝廉(こうれん)に推挙されて郎中(ろうちゅう)となり、校書郎(こうしょろう)に転じた。

しかし結局は昇進できず、秘書(ひしょ。秘書省)の官のまま死去(時期は不明)した。

「秘書の官」と言ってもいろいろなものがあり、もちろん校書郎も含まれるが、具体的な官職についてはイマイチわからず。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。

上で挙げた記事は、本伝の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く荀勗(じゅんきょく)の『文章叙録(ぶんしょうじょろく)』によるもの。

本伝では郎中令(ろうちゅうれい)の河東の杜摯として、文章や賦をよくした人物のひとりとして名が見える程度。

なので、杜摯の詳しい事績はわかりませんでした。

『文章叙録』には、杜摯は同郷の毌丘倹(かんきゅうけん)と親しかったともあり、ふたりが交わしたという詩を載せていました。

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