楽綝(がくりん)

【姓名】 楽綝(がくりん) 【あざな】 ?

【原籍】 陽平郡(ようへいぐん)衛国(えいこく)

【生没】 ?~257年(?歳)

【吉川】 第290話で初登場。
【演義】 第098回で初登場。
【正史】 登場人物。

「揚州刺史(ようしゅうのしし)」としての不運な巡り合わせ

父は楽進(がくしん)だが、母は不詳。息子の楽肇(がくちょう)は跡継ぎ。

218年、楽綝は楽進が死去したためその跡を継ぎ、「広昌亭侯(こうしょうていこう)?」に封ぜられた。楽綝は父と同じような風格を備え、人柄は剛毅果断であり、やがて「揚州刺史」まで昇る

楽綝が継いだ爵位についてはイマイチはっきりしない。

257年、征東大将軍(せいとうだいしょうぐん)の諸葛誕(しょかつたん)が反乱を起こす。揚州の州治は寿春(じゅしゅん)だったが、諸葛誕の役所(征東大将軍府)もこの地に置かれていた。楽綝は諸葛誕の急襲を受け、楼上へ逃げたところを斬殺されたという。

曹髦(そうぼう)から楽綝の死を悼み惜しむ詔(みことのり)が下り、「衛尉(えいい)」の官位を追贈され「愍侯(びんこう)」と諡(おくりな)される。息子の楽肇が跡を継いだ。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は、『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・楽進伝)および『三国志』(魏書・諸葛誕伝)とその裴松之注(はいしょうしちゅう)によるものです。

また「諸葛誕伝」の裴松之注に引く『魏末伝(ぎまつでん)』には、以前から楽綝が諸葛誕の讒言(ざんげん)を繰り返していたため、このとき諸葛誕が彼を斬り、(魏の)朝廷に上奏文を捧げて判断を仰いだ、というくだりがありました。

ですが、裴松之は『魏末伝』の記事を「おおむねみな浅はかである」とし、この上奏文の内容についても「これほどまでに事実を曲げているとは信じられない」と評していました。

もちろん様々な要素が絡んで起きたことなのでしょうけど、楽綝の場合は寿春にいたことが不運なだけだったような……。

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