丁斐(ていひ) ※あざなは文侯(ぶんこう)

【姓名】 丁斐(ていひ) 【あざな】 文侯(ぶんこう)

【原籍】 沛国(はいこく)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 第183話で初登場。
【演義】 第058回で初登場。
【正史】 登場人物。

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わが家の牛は痩せているな……

父母ともに不詳。丁謐(ていひつ)という息子がいた。

丁斐は早くから曹操(そうそう)に付き従い、同郷の者として特にかわいがられる。彼は金銭を好み、しばしば賄賂を要求して法に触れたが、いつも大目に見てもらえた。

やがて丁斐は典軍校尉(てんぐんこうい)として内外を取り仕切るようになり、彼の意見は曹操に聞き入れられることが多かったという。

211年、曹操が潼関(とうかん)で韓遂(かんすい)や馬超(ばちょう)らと対峙(たいじ)する。

このとき曹操は黄河(こうが)の北岸へ渡ろうとしたが、先に兵を渡らせ、許褚(きょちょ)らと虎士(こし。近衛兵)100余人だけで南岸に留まっていた。

そこへ馬超が歩騎1万余人をひきいて攻め寄せ、雨のように矢を射込む。

ここで丁斐が機転を利かせ、自軍の牛馬を解き放ったため、馬超の兵はこれを鹵獲(ろかく)しようと混乱を起こす。この間の許褚の奮戦により、曹操は何とか対岸へ渡ることができた。

216年、丁斐は再び曹操に付き従い、呉(ご)の討伐へ向かう。

このとき丁斐は自家の痩せた牛を見て、こっそりお上の牛と取り換える。しかし告発を受けて逮捕され、官職も剝奪された。

後に曹操が丁斐に尋ねる。

「文侯(丁斐のあざな)、きみの印綬(いんじゅ。官印と組み紐〈ひも〉)はどこにある?」

すると丁斐もからかわれていることを察し、こう応える。

「餅と取り換えてしまいました」

曹操は大笑いし、側近を振り返って言う。

「東曹(とうそう)の毛掾(もうえん。東曹掾の毛玠〈もうかい〉)がたびたびこやつの罪を告発し、厳重な処分を求めている。私もこやつが清廉でないことはわかっているが、それでも用いているのには理由がある」

「私のところにこやつがいるのは、ある家に鼠(ネズミ)を捕まえるのがうまい盗っ人犬がいるのと同じことなのだ。犬の盗みでいくらか損はするが、私の袋の中にある蓄えはしっかり守ってくれるというわけだ」

こうして丁斐はもとの官職に戻され、以前のように意見を聞いてもらえるようになった。だが、彼は数年後に病死(時期は不明)したという。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・曹真伝〈そうしんでん〉)に付された「丁謐伝」の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『魏略(ぎりゃく)』によるもの。

また、馬超らとの戦いにおける丁斐の活躍については『三国志』(魏書・武帝紀〈ぶていぎ〉)に見えています。

丁斐は確かに小人物だったのでしょうが、どこか憎めないところがありますよね。

自軍の牛馬を放って曹操の危機を救った一件なども、彼が清廉な人柄だったら思いついたでしょうか? もちろん許褚の命がけの働きがあったからこそ、彼の功も評価されたのですけど――。

澄み切った政治は理想ではありますが、これも度が過ぎると、かえって多くの人々にとって暮らしにくい国になってしまう。

曹操の周囲には、聖人君子のようなタイプから丁斐のようなタイプまで、実に様々な人物がいたはず。

このあたりのバランスを取るのは非常に難しいと思われ、そうした人材を使いこなすには、やはりある種の天性の才能が必要だろうと感じました。

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