趙達(ちょうたつ)A ※八絶(はちぜつ)のひとりに数えられた占い師

【姓名】 趙達(ちょうたつ) 【あざな】 ?

【原籍】 河南郡(かなんぐん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『呉書(ごしょ)・趙達伝』あり。

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自分の亡くなる日まで言い当てたという占い師

父母ともに不詳。

趙達は、若いころ侍中(じちゅう)の単甫(ぜんほ)の下で学び、精密な思考力を身に付けた。その後、東南の地に王者の気があると見ると、騒乱を避けて長江(ちょうこう)を渡った。

趙達は九宮一算(きゅうきゅういっさん)の術を究め、臨機応変の策を立てることができたうえ、皆の疑問に神のごとき明答を与えた。

また、飛来した蝗(イナゴ)の数をかぞえたり、隠された品物を占ったりしたが、これらが外れることはなかった。

しかし、趙達は己の技術について語ろうとせず、闞沢(かんたく)や殷礼(いんれい)といった高名な儒者や、優れた人物から礼を尽くして請われても、決して教えようとはしなかった。

孫権(そんけん)は軍勢を動かすたびに趙達に吉凶を占わせたが、いつも彼の言葉通りの結果になる。そのため趙達の技術の詳細を聞きたがったが、やはり教えてもらえない。

こうしたことから趙達は孫権に疎まれるようになり、官位や俸禄はさほど上がらなかった。

あるとき趙達は自分の運勢を占い、寿命が尽きる日を悟ったが、この話を聞いた妻に泣かれたため、占いをやり直して言った。

「さっきの占いは間違っていた。私の死はまだ先のことだ」

だが、趙達は最初の占いに出た日(時期は不明)に亡くなってしまった。

後に孫権は、趙達が占術について記した書物を持っていたことを聞く。

そこで趙達の娘を捕らえて詰問したり、柩(ひつぎ)を開けさせたりもしたが、ついに書物は見つからなかった。こうして趙達の占術は、彼の死とともに絶えたという。

管理人「かぶらがわ」より

ここまで採り上げた呉範(ごはん)劉惇(りゅうとん)と同様に、趙達の技術も受け継がれませんでした。

彼の秘技を知りたがる孫権の気持ちはわかりますけど、娘を責めたり、柩を開けたりするのはやりすぎですよね……。

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