【姓名】 陳容(ちんよう) 【あざな】 ?
【原籍】 広陵郡(こうりょうぐん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・臧洪伝(そうこうでん)』に付された「陳容伝」あり。
臧洪に付き従った烈士
父母ともに不詳。
陳容は臧洪と同郷で、若いころに書生となった。臧洪を親のように慕い、彼が東郡太守(とうぐんたいしゅ)だったとき、その下で東郡丞(とうぐんじょう)を務めた。
195年、臧洪が張超(ちょうちょう)の救援を巡って袁紹(えんしょう)と対立し、やがて袁紹軍による包囲を受けた。
陳容は臧洪の命を受けて城外へ出たものの、ほどなく城が陥落。臧洪は生け捕られたが、あくまで袁紹の態度を非難し続けた。
陳容は、臧洪が処刑されそうになっているのを見て、袁紹に言った。
「将軍は大事業を興され、天下のために無法者を除き去るお考えのはず。ところが、真っ先に処刑されようとしているのは忠義な人物です。これは天意に合致した行いと申せましょうか?」
「臧洪さまが事を起こされたのは郡将(張超)のためです。なぜ殺そうとなさるのですか?」
袁紹は気がとがめたものの、側近の者に陳容を引きずり出させながら言った。
「お前は臧洪の仲間でもないのに、いい加減な気持ちでそのような態度を取ろうというのか!」
すると陳容は振り向いて言った。
「そもそも仁義とは、特定の者にしか持てないものでしょうか? これを実行する者は『君子』となり、これに背く者は『小人』となるのです。むしろ今日、臧洪さまと一緒に殺されようとも、将軍とともに生きようとは思いません」
こうして陳容もまた処刑されたが、袁紹のそばにいた者はそろってため息をつき、こっそり言い合った。
「何ということだ。一日のうちにふたりの烈士を殺してしまうとは……」
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。陳容の名が正史『三国志』に見えるのは、上で挙げた臧洪に関するものだけなので、詳しい経歴などはわかりませんでした。
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