186年(漢の中平3年)の主な出来事

-186年- 丙寅(へいいん)
【漢】 中平(ちゅうへい)3年 ※霊帝(れいてい。劉宏〈りゅうこう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【02月】
江夏郡(こうかぐん)の郡兵である趙慈(ちょうじ)が謀反を起こし、南陽太守(なんようたいしゅ)の秦頡(しんけつ)を殺害する。
『後漢書(ごかんじょ)』(霊帝紀〈れいていぎ〉)

【02月】
庚戌(こうじゅつ)の日(16日)
霊帝が大赦を行う。
『後漢書』(霊帝紀)

【02月】
霊帝が太尉(たいい)の張延(ちょうえん)を罷免したうえ、車騎将軍(しゃきしょうぐん)の張温(ちょうおん)を太尉に、中常侍(ちゅうじょうじ)の趙忠(ちょうちゅう)を車騎将軍に、それぞれ任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【02月】
霊帝が玉堂殿(ぎょくどうでん)を改修し、銅人(どうじん)4体、黄鍾(こうしょう)4口(こう)、さらに天禄(てんろく)や蝦蟆(がま)を鋳造する。また四出文銭(ししゅつもんせん)も造幣した。
『後漢書』(霊帝紀)

李賢注(りけんちゅう)によると「天禄とは獣である。このとき、掖庭令(えきていれい)の畢嵐(ひつらん)に銅人を鋳造させ、(東闕〈とうけつ〉の)倉龍闕(そうりょうけつ)と(西闕の)玄武闕(げんぶけつ)の外に並べ、鍾は玉堂と雲台殿(うんだいでん)の前に掛け、天禄と蝦蟆は平門の外に水を吐き出した。このことについては『後漢書』(宦者伝〈かんじゃでん〉)に詳しい」という。

「考えてみると、唐(とう)の鄧州(とうしゅう)南陽県の北に宗資(そうし)の碑がある。その傍らには両石獣(りょうせきじゅう)があり、その腕に刻まれていた文字はひとつを天禄といい、もうひとつを辟邪(へきじゃ)という。これによれば、天禄と辟邪がともに獣の名であることがわかる。漢(かん)にも天禄閣(てんろくかく)があるが、これもまた獣から名付けたのだろう」ともいう。

『全譯後漢書 第2冊』(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉、岡本秀夫〈おかもと・ひでお〉、池田雅典〈いけだ・まさのり〉編 汲古書院)の補注によると「黄鍾は、音律の中で基準となる音階」だという。ということで、ここでは黄鍾の音階を担う鍾(つりがね。鐘)。

同じく『全譯後漢書 第2冊』の補注によると「四出文銭は銅銭。中央の穴から縁に向かって4条の斜文があることから名付けられた」という。

【05月】
壬辰(じんしん)の日(30日)、晦(かい)
日食が起こる。
『後漢書』(霊帝紀)

【06月】
荊州刺史(けいしゅうしし)の王敏(おうびん)が趙慈を討伐し、これを斬る。
『後漢書』(霊帝紀)

【06月】
霊帝が車騎将軍の趙忠を罷免する。
『後漢書』(霊帝紀)

【08月】
懐陵(かいりょう。沖帝〈ちゅうてい〉の陵)に無数の雀(スズメ)が集まり、悲鳴を上げて闘い、互いに殺し合うという事件が起こる。
『後漢書』(霊帝紀)

李賢注によると「懐陵は沖帝の陵である。『続漢書(しょくかんじょ)』(五行志〈ごぎょうし〉)に、『天が戒めてこのように言っている。もろもろの爵禄を得て尊貴の身にある者が、それでも互いに害し合うことになる』とある」という。

【10月】
武陵蛮(ぶりょうばん)が反乱を起こし郡界に侵攻したものの、郡兵がこれを討ち破る。
『後漢書』(霊帝紀)

【10月】
前の太尉の張延が宦官(かんがん)に謗(そし)られて投獄され、獄死する。
『後漢書』(霊帝紀)

【12月】
鮮卑(せんぴ)が幽州(ゆうしゅう)・幷州(へいしゅう)の両州に侵攻する。
『後漢書』(霊帝紀)

【?月】
この年、司空の張温が車騎将軍を兼任し、涼州(りょうしゅう)で反乱を起こしていた辺章(へんしょう)・韓遂(かんすい)の討伐に向かう。この際、孫堅(そんけん)が張温の参謀を務めた。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫堅伝〈そんけんでん〉)

この記事は186年のことだとあったが、どうも『後漢書』とはかみ合わない。『後漢書』によると、昨年(185年)8月に司空の張温が車騎将軍に任ぜられ、北宮伯玉(ほくきゅうはくぎょく)の討伐に向かっている。翌9月には楊賜(ようし)が司空に任ぜられたとあるから、この時点で司空と車騎将軍を兼ねているわけではなくなる。

さらに翌10月に楊賜が死去すると、同月のうちに許相(きょしょう)が司空に任ぜられたとある。そして、この年(186年)の2月に車騎将軍の張温が太尉に任ぜられたと続いている。この「孫堅伝」の記事は昨年(185年)のことだとすれば、『後漢書』の内容とも合ってくるように思われる。本当のところはわからないが……。

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