191年(漢の初平2年)の主な出来事

-191年- 辛未(しんび)
【漢】 初平(しょへい)2年 ※献帝(けんてい。劉協〈りゅうきょう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
辛丑(しんちゅう)の日(6日)
献帝が大赦を行う。
『後漢書(ごかんじょ)』(献帝紀〈けんていぎ〉)

【春】
袁紹(えんしょう)と韓馥(かんふく)が劉虞(りゅうぐ)を皇帝に擁立しようとしたものの、劉虞はあくまで承知しなかった。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)

⇒01月
劉虞が袁紹と韓馥の即位要請を拒む。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表

【02月】
丁丑(ていちゅう)の日(12日)
董卓(とうたく)が自ら太師(たいし)に就任する。
『後漢書』(献帝紀)

【02月】
袁術(えんじゅつ)が部将の孫堅(そんけん)を遣わし、陽人聚(ようじんしゅう)で董卓配下の部将の胡軫(こしん)と戦わせる。孫堅は胡軫を大破した。
『後漢書』(献帝紀)

【02月】
董卓が洛陽(らくよう)にある諸皇帝の陵を暴き略奪を働く。
『後漢書』(献帝紀)

【?月】
孫堅が、董卓・呂布(りょふ)の軍を討ち破り洛陽に入る。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

⇒?月
孫堅が董卓軍を討ち破り、洛陽に一番乗りを果たす。
『三国志全人名事典』(『中国の思想』刊行委員会編著 徳間書店)の関連略年表

【04月】
董卓が長安(ちょうあん)に引き揚げる。
『三国志』(魏書・武帝紀)

⇒04月
董卓が長安に入城する。
『後漢書』(献帝紀)

【06月】
丙戌(へいじゅつ)の日(23日)
地震が起こる。
『後漢書』(献帝紀)

ここでは具体的な場所についての記述はなかった。

【07月】
献帝が司空(しくう)の种払(ちゅうふつ)を罷免し、光禄大夫(こうろくたいふ)の淳于嘉(じゅんうか)を司空に任ずる。
『後漢書』(献帝紀)

【07月】
献帝が太尉(たいい)の趙謙(ちょうけん)を罷免し、太常(たいじょう)の馬日磾(ばじつてい)を太尉に任ずる。
『後漢書』(献帝紀)

【07月】
袁紹が韓馥を脅して冀州(きしゅう)の実権を奪う。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【09月】
蚩尤旗(しゆうき。オーロラ)が角宿(かくしゅく。二十八宿のひとつ)と亢宿(こうしゅく。二十八宿のひとつ)に現れる。
『後漢書』(献帝紀)

李賢注(りけんちゅう)によると「『史記(しき)』(天官書〈てんかんしょ〉)に、『蚩尤旗は彗星に似ており、後ろが曲がり、旗の形をしている』とある。火星の精である」という。また「『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』(明理〈めいり〉)には、『その色は上が黄色で下が白色である』という。(蚩尤旗が)現れると王者は四方を征伐する(予兆である)」ともいう。

【10月】
壬戌(じんじゅつ)の日(1日)
董卓が衛尉(えいい)の張温(ちょうおん)を殺害する。
『後漢書』(献帝紀)

【11月】
青州(せいしゅう)の黄巾賊(こうきんぞく)が泰山郡(たいざんぐん)に侵攻したものの、泰山太守(たいざんたいしゅ)の応劭(おうしょう)がこれを撃破する。
『後漢書』(献帝紀)

【11月】
応劭に敗れた黄巾賊が向きを転じて勃海国(ぼっかいこく)に侵攻する。公孫瓚(こうそんさん)が応劭とともに、東光県(とうこうけん)でこれと戦い大破した。
『後漢書』(献帝紀)

【?月】
黒山(こくざん)の賊の于毒(うどく)・白繞(はくじょう)・眭固(すいこ)らが、10余万の軍勢で魏郡(ぎぐん)を攻略する。東郡太守(とうぐんたいしゅ)の王肱(おうこう)はこれを防ぎきれなかった。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【?月】
曹操(そうそう)が兵をひきいて東郡に入り、濮陽(ぼくよう)で白繞を討ち破る。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【?月】
袁紹が献帝に、曹操を東郡太守に任ずるよう求める上奏を行い、東武陽(とうぶよう)に役所を置かせる。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【?月】
公孫瓚と袁紹が争いを起こす。
『正史 三国志8』の年表

⇒?月
公孫瓚が袁紹を攻める。また、公孫瓚は劉備(りゅうび)を平原国相(へいげんこくのしょう)に任じた。
『三国志全人名事典』の関連略年表

【?月】
袁術が公孫瓚と、劉表(りゅうひょう)が袁紹と、それぞれ結ぶ。袁術は孫堅を遣わし劉表を討伐させ、劉表は配下の黄祖(こうそ)を遣わし孫堅を阻んだ。
『正史 三国志8』の年表

【?月】「孫堅の死」
孫堅が黄祖を追討していた途中で戦死する。
『正史 三国志8』の年表

孫堅の死を翌年(192年)とする説もある。

【?月】
この年、荀彧(じゅんいく)が袁紹のもとを去り、曹操のもとに身を寄せた。
『三国志』(魏書・荀彧伝)

【?月】
この年、長沙郡(ちょうさぐん)で死後数か月経った人が復活するという事件が起こった。
『後漢書』(献帝紀)

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190年代 正史年表
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今日も三国志日和 – 史実と創作からみる三国志の世界 –

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