217年(漢の建安22年)の主な出来事

-217年- 丁酉(ていゆう)
【漢】 建安(けんあん)22年 ※献帝(けんてい。劉協〈りゅうきょう〉)

スポンサーリンク
スポンサーリンク

月別および季節別の主な出来事

【01月】
曹操(そうそう)が居巣(きょそう)に陣取る。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)

【02月】
曹操が軍を進め、長江(ちょうこう)の西にある郝谿(かくけい)に陣を布(し)く。濡須口(じゅしゅこう)にいた孫権(そんけん)は、城を築いて抵抗するが、曹操軍の攻撃を受けて退却した。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【春】
孫権が都尉(とい)の徐詳(じょしょう)を遣わし、曹操に降伏を申し入れる。曹操も返礼の使者を遣わして好(よしみ)を通じ、誓約を交わし重ねたうえ、婚姻関係を固めた。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呉主伝〈ごしゅでん〉)

【03月】
曹操が、軍をひきいて帰途に就く。居巣には、夏侯惇(かこうとん)・曹仁(そうじん)・張遼(ちょうりょう)らを留めた。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【04月】
献帝が曹操に、天子(てんし)の旌旗(せいき)を掲げたうえ、出入りの際に警蹕(けいひつ。先払いの戒めの声)を称することを許す。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【05月】
曹操が泮宮(はんきゅう。諸侯の作る学校)を設置する。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【06月】
献帝が、軍師の華歆(かきん)を御史大夫(ぎょしたいふ)に任ずる。
『三国志』(魏書・武帝紀)

また「『魏書』にいう」として、「初めて衛尉(えいい)の官を設置した」ともある。

⇒06月
献帝が、丞相軍師(じょうしょうぐんし)の華歆を御史大夫に任ずる。
『後漢書(ごかんじょ)』(献帝紀〈けんていぎ〉)

『全譯後漢書 第2冊』(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉、岡本秀夫〈おかもと・ひでお〉、池田雅典〈いけだ・まさのり〉編 汲古書院)の補注によると、「丞相軍師は丞相府の私設参謀官僚。曹操の丞相府においては、本来の幕僚長である長史(ちょうし)や司馬(しば)の遥か上位に位置づけられる官職であった」という。

【08月】
曹操が布告を出す。「いま天下に最上の徳を持ちながら、民間に捨て置かれた者がないわけはなかろう」とし、「勇敢でわが身を顧みず、敵に向かって力の限り戦う者、文書を扱う俗吏で優れた才能や特別な手腕を持ち、将軍や太守(たいしゅ)の任に堪えられる者、汚らわしい評判を立てられて嘲笑されたり、不仁不孝であったとしても、国を治め、兵を用いる技術を持った者がいるであろう」ともしたうえ、「それぞれ知っている人物を推挙し、落ちこぼれがないようにせよ」というもの。
『三国志』(魏書・武帝紀)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『魏書』

【09月】
曹操が鄴(ぎょう)に帰還する。
『三国志』(魏書・文昭甄皇后伝〈ぶんしょうしんこうごうでん〉)

【10月】
献帝が曹操に、12旒(りゅう。冠の前後に垂れ下げる飾り玉。天子のものは12ある)の冕(べん。かんむり)を着け、金根車(きんこんしゃ。豪華なお召し車)に乗り、これを6頭立ての馬に引かせ、5つの季節の色(春は青、夏は赤、季夏〈きか〉は黄、秋は白、冬は黒)に塗った副車(そえぐるま)を設けることを許す。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【10月】
五官中郎将(ごかんちゅうろうしょう)の曹丕(そうひ)が、魏の太子(たいし。王太子)となる。
『三国志』(魏書・武帝紀)

『三国志』(魏書・文帝紀〈ぶんていぎ〉)の裴松之注に引く『魏略(ぎりゃく)』…太子に立てられる前の曹丕が、高元呂(こうげんりょ)に自分の人相を見させた話。

【?月】
劉備(りゅうび)が、張飛(ちょうひ)・馬超(ばちょう)・呉蘭(ごらん)らを遣わし、下弁(かべん)に駐屯させる。これに対し曹操は、曹洪(そうこう)を遣わして守りにあたらせる。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【冬】
彗星(すいせい)が東北の空に現れる。
『後漢書』(献帝紀)

【?月】「魯粛(ろしゅく)の死」
この年、孫権配下の魯粛が死去した。このとき46歳だった。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・魯粛伝)

【?月】
この年、疫病が流行した。
『後漢書』(献帝紀)

⇒?月
この年、疫病が流行し、王粲(おうさん。177年~)・応瑒(おうちょう)・劉楨(りゅうてい)・徐幹(じょかん)らが死去した。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

【?月】
この年、劉備が(広漢郡〈こうかんぐん〉から梓潼県〈しとうけん〉を分割して)梓潼郡を設置した。
『後漢書』(郡国志〈ぐんこくし〉)の劉昭注(りゅうしょうちゅう)

【?月】
この年、傅玄(ふげん)と賈充(かじゅう)が生まれた。
『正史 三国志8』の年表

特記事項

「この年(217年)に亡くなったとされる人物」
王粲(おうさん)応瑒(おうちょう)司馬朗(しばろう)徐幹(じょかん)陳琳(ちんりん)董襲(とうしゅう)劉楨(りゅうてい)淩統(りょうとう)?魯粛(ろしゅく)

「この年(217年)に生まれたとされる人物」
賈充(かじゅう)

コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます

タイトルとURLをコピーしました