231年(魏の太和5年・蜀の建興9年・呉の黄龍3年)の主な出来事

-231年- 辛亥(しんがい)
【魏】 太和(たいわ)5年 ※明帝(めいてい。曹叡〈そうえい〉)
【蜀】 建興(けんこう)9年 ※後主(こうしゅ。劉禅〈りゅうぜん〉)
【呉】 黄龍(こうりょう)3年 ※大帝(たいてい。孫権〈そんけん〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
魏(ぎ)の曹叡が籍田(せきでん)を耕す。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・明帝紀〈めいていぎ〉)

【02月】「諸葛亮(しょかつりょう)の第四次北伐」
蜀(しょく)の諸葛亮が再び軍を出し、魏の祁山(きざん)を包囲する。この際、初めて木牛(ぼくぎゅう。牛をかたどった、機械仕掛けで動く車。詳細は不明)による輸送を行う。魏の司馬懿(しばい)と張郃(ちょうこう)が、祁山の救援に向かった。
『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・後主伝〈こうしゅでん〉)

【02月】
呉(ご)の孫権が、太常(たいじょう)の潘濬(はんしゅん)に5万の軍勢を付けて遣わし、武陵(ぶりょう)の異民族を討伐させる。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呉主伝〈ごしゅでん〉)

⇒?月
呉の潘濬と呂岱(りょたい)が、五谿(ごけい。武陵近辺の谿谷)の異民族を討伐する。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

【03月】「曹真(そうしん)の死」
魏の大司馬(だいしば)の曹真が死去する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【03月】
蜀の諸葛亮が、魏の天水郡(てんすいぐん)に侵攻する。魏の曹叡は、大将軍(だいしょうぐん)の司馬懿に詔(みことのり)を下し、これを防がせた。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【03月】
辛巳(しんし)の日(9日)
昨年(230年)10月から雨が降らなかったため、魏の曹叡が、大がかりな雨乞いの儀式を執り行う。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【春】
呉の孫権が、先に夷洲(いしゅう)と亶洲(たんしゅう)の探索に遣わし、成果を上げられなかった衛温(えいおん)と諸葛直(しょかつちょく)について、ふたりとも投獄したあと誅殺する。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【04月】
鮮卑族(せんぴぞく)の附義王(ふぎおう)の軻比能(かひのう)が、同部の族人と丁零(ていれい)の大人(たいじん。部族の有力者)の児禅(げいぜん)を引き連れて魏の幽州(ゆうしゅう)に到着し、名馬を献ずる。

これを受けて魏の曹叡は、再び護匈奴中郎将(ごきょうどちゅうろうしょう)の官を設置した。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【06月】「張郃の死」
蜀の諸葛亮が、兵糧が尽きたため軍を撤退させる。これを魏の張郃が追撃し、青封(せいほう)で諸葛亮と交戦したものの、矢に当たって戦死した。
『三国志』(蜀書・後主伝)

【夏】
呉で、野蚕(やままゆ)が卵ほどの大きさの繭(まゆ)を作り、由拳県(ゆうけんけん)では野生の稲が生えた。これを受けて孫権は、由拳県を禾興県(かこうけん)と改めた。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【07月】
丙子(へいし)の日(6日)
魏の曹叡が、蜀の諸葛亮を撤退させた功績に対して、官位と封爵の引き上げを行う。これには功績の大小により格差がつけられた。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【07月】
乙酉(いつゆう)の日(15日)
魏の曹叡に息子の曹殷(そういん)が誕生し、大赦が行われる。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【08月】
魏の曹叡が詔を下す。「魏の諸王および親族の公侯は、それぞれ嫡子ひとりを朝廷に参内させるよう命ずる」というもの。

ただし「今後、魏において幼少の皇帝が即位し、その母后が宮中にある場合。先帝(曹丕〈そうひ〉)の命令(魏の諸王を都の洛陽〈らくよう〉に住まわせない)の通りとするように」とも、重ねてはっきりと布令に書き記させた。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【08月】
蜀の都護(とご)の李平(りへい。李厳〈りげん〉)が罷免され、梓潼郡(しとうぐん)に配流される。
『三国志』(蜀書・後主伝)

『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』…10月、蜀の江陽(こうよう)から江州(こうしゅう)に至る地域で、長江(ちょうこう)を南から北へ渡ろうとした鳥たちが水に落ち、4ケタに上る数が死んだという話。

【冬】
魏の曹叡が詔を下す。「魏の諸王は、翌年(232年)の正月に参内せよ」というもの。
『三国志』(魏書・陳思王植伝〈ちんしおうしょくでん〉)

【10月】
呉の孫権が、阜陵(ふりょう)に大軍を伏せ、魏の王淩(おうりょう)を待ち受けたものの、王淩は危険を察知して逃げ去る。これは呉の中郎将の孫布(そんふ)が、魏に降ると見せかけて王淩を誘い出したものだったが、結局は失敗に終わった。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【11月】
乙酉の日(17日)
月が軒轅大星(けんえんたいせい。獅子座のアルファ星)を犯す。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【11月】
戊戌(ぼじゅつ)の日(30日)、晦(かい)
日食が起こる。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【12月】
甲辰(こうしん)の日(6日)
月が塡星(ちんせい。鎮星とも。土星)を犯す。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【12月】
戊午(ぼご)の日(20日)
魏の太尉(たいい)の華歆(かきん)が死去する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【冬】
呉の孫権のもとに、「会稽郡(かいけいぐん)の南始平(なんしへい)で嘉禾(かか。穂がたくさん付いた、おめでたい穀物)が生えた」との報告が届く。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【12月】
丁卯(ていぼう)の日(30日。大晦日〈おおみそか〉)
呉の孫権が大赦を行い、翌年(232年)から「黄龍」を「嘉禾」と改元することを決める。
『三国志』(呉書・呉主伝)

特記事項

「この年(231年)に亡くなったとされる人物」
華歆(かきん)曹真(そうしん)張松(ちょうしょう)B ※劉璋(りゅうしょう)配下の別駕従事(べつがじゅうじ)張郃(ちょうこう)李恢(りかい)

「この年(231年)に生まれたとされる人物」
曹殷(そういん)曹詢(そうしゅん)孫綝(そんりん)

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