272年(晋の泰始8年・呉の鳳皇〈鳳凰〉元年)の主な出来事

-272年- 壬辰(じんしん)
【晋】 泰始(たいし)8年 ※武帝(ぶてい。司馬炎〈しばえん〉)
【呉】 鳳皇(ほうおう。鳳凰)元年 ※帰命侯(きめいこう。孫晧〈そんこう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】「呉(ご)の改元」
呉の孫晧が、年初より「建衡(けんこう)」を「鳳皇(鳳凰)」と改元する。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

【?月】
晋(しん)の益州刺史(えきしゅうしし)の王濬(おうしゅん)が大艦を建造する。
『正史 三国志8』の年表

【?月】
呉の建平太守(けんぺいたいしゅ)の吾彦(ごげん)が「晋が呉の攻略を計画している」と警告する上奏を行ったものの、孫晧は無視する。
『正史 三国志8』の年表

【07月】
晋の司馬炎が賈充(かじゅう)を司空(しくう)に任ずる。
『正史 三国志8』の年表

【08月】「歩闡(ほせん)の投降と死」
呉の孫晧が西陵督(せいりょうとく)の歩闡を召還しようとしたところ、歩闡が従わず、城に立てこもったまま晋に投降する。

そこで孫晧は楽郷都督(らくきょうととく)の陸抗(りくこう)を遣わし、西陵を包囲して歩闡を捕らえさせた。歩闡の配下にいた軍勢はみな降伏し、歩闡と彼の企てに加わった者数十人は一族皆殺しにされた。この事件が解決すると孫晧は大赦を行った。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫晧伝)

⇒09月
呉の歩闡が西陵城を挙げて晋に投降しようとする。これを受け呉の陸抗が歩闡討伐に向かう。晋の司馬炎は楊肇(ようちょう)・羊祜(ようこ)・徐胤(じょいん)らを遣わし、歩闡の救援を命じた。
『正史 三国志8』の年表

【?月】「万彧(ばんいく)の死」
この年、呉の右丞相(ゆうじょうしょう)の万彧が孫晧の譴責(けんせき)を受けて憂死した。さらに、その子弟も廬陵(ろりょう)に強制移住させられた。
『三国志』(呉書・孫晧伝)

『江表伝(こうひょうでん)』…万彧および留平(りゅうへい)が死に至るまでの経緯について。

【?月】
この年、呉の何定(かてい)の悪事が発覚し、孫晧に誅殺された。孫晧は「何定の悪事は張布(ちょうふ)の場合と似ている」と言い、何定の死後、その名を何布(かふ)と改めさせた。
『三国志』(呉書・孫晧伝)

『江表伝』…何定(何布)について。

『呉歴(ごれき)』…奚熙(けいき)が賀恵(がけい)らを讒言(ざんげん)した話。

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正史年表 270年代
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