-273年- 癸巳(きし)
【晋】 泰始(たいし)9年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉)
【呉】 鳳皇(ほうおう。鳳凰)2年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉)
月別および季節別の主な出来事
【01月】
辛酉(しんゆう)の日(22日)
晋の司空・密陵侯の鄭袤(ていぼう)が薨去(こうきょ)する。
『晋書』(武帝紀)
【02月】「石苞(せきほう)の死」
癸巳(きし)の日(25日)
晋の司徒・楽陵公の石苞が薨去する。
『晋書』(武帝紀)
【02月】
癸巳の日(25日)
晋の司馬炎が、安平亭侯の司馬隆(しばりゅう)を安平王に封ずる。
『晋書』(武帝紀)
【03月】
晋の司馬炎が、皇子の司馬祗(しばし)を東海王に封ずる。
『晋書』(武帝紀)
【03月】
呉の孫晧が、陸抗(りくこう)を大司馬に任ずる。
『三国志』(呉書・孫晧伝)
⇒03月
呉の孫晧が、陸抗を大司馬・荊州牧に任ずる。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表
【03月】
呉の司徒の丁固(ていこ)が死去する。
『三国志』(呉書・孫晧伝)
【04月】
戊辰(ぼしん)の日(1日)、朔(さく)
日食が起こる。
『晋書』(武帝紀)
【04月】「韋昭(いしょう。韋曜〈いよう〉)の死」
呉の孫晧が、韋昭(韋曜)を投獄して誅殺する。
『正史 三国志8』の年表
【05月】
晋が日照りに見舞われる。
『晋書』(武帝紀)
【05月】
晋の司馬炎が、太保の何曾(かそう)に司徒を兼ねさせる。
『晋書』(武帝紀)
【06月】
乙未(いつび)の日(29日)
晋の東海王の司馬祗が薨去する。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
丁酉(ていゆう)の日(1日)、朔
日食が起こる。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
呉の将軍の魯淑(ろしゅく)が晋の弋陽(よくよう)を包囲したものの、晋の征虜将軍の王渾(おうこん)が撃破する。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
晋の司馬炎が、五官左中郎将と五官右中郎将、弘訓太僕、衛尉、大長秋などの官を廃止する。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
鮮卑が晋の広寧に侵攻し、5千人を殺したり略奪したりする。
『晋書』(武帝紀)
【07月】「司馬炎の宮女選び」
晋の司馬炎が詔を下し、公卿以下の娘を六宮に召し寄せ、人選が済むまで一時的に婚姻を禁ずる。
『晋書』(武帝紀)
【09月】
呉の孫晧が、息子の淮陽王を魯王に、東平王を斉王に、それぞれ移封したうえ、そのほかに陳留王・章陵王など9人の王を新たに封ずる。これにより全部で11王となり、王ごとに3千の兵が配置された。
『三国志』(呉書・孫晧伝)
★ここでは、王に封ぜられた孫晧の息子たちの名は出てこなかった。
【09月】
呉の孫晧が大赦を行う。
『三国志』(呉書・孫晧伝)
【10月】
辛巳(しんし)の日(17日)
晋の司馬炎が制書(詔書)を下し、17歳(以上)の娘でまだ父母が嫁がせていない者について、長吏に結婚の世話をさせる。
『晋書』(武帝紀)
【11月】
丁酉の日(3日)
晋の司馬炎が宣武観に臨み、大規模な閲兵式を執り行い、甲辰(こうしん)の日(10日)に終える。
『晋書』(武帝紀)
【?月】
この年、呉の孫晧の愛妾(あいしょう)に、市場へ人を遣り、民の財貨を強奪させた者がいた。司市中郎将の陳声(ちんせい)は、孫晧が特に目をかけている臣下で、この陳声が法によって処罰した。
ところが、愛妾の訴えを聴いた孫晧は激怒し、別件にかこつけ、焼いた鋸(のこぎり)で陳声の首を切り落とさせ、遺骸を四望山のふもとに捨てさせた。
『三国志』(呉書・孫晧伝)
【?月】
この年、呉の太尉の范慎(はんしん)が死去した。
『三国志』(呉書・孫晧伝)
特記事項
「この年(273年)に亡くなったとされる人物」
韋曜(いよう。韋昭〈いしょう〉)・司馬祇(しばし)・石苞(せきほう)・丁固(ていこ。丁密〈ていみつ〉)・鄭袤(ていぼう)
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