274年(晋の泰始10年・呉の鳳皇〈鳳凰〉3年)の主な出来事

-274年- 甲午(こうご)
【晋】 泰始(たいし)10年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉)
【呉】 鳳皇(ほうおう。鳳凰)3年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
辛亥(しんがい)の日(18日)
晋の司馬炎が籍田を耕す。
『晋書』(武帝紀)

【閏01月】「鄭沖(ていちゅう)の死」
癸酉(きゆう)の日(11月)
晋の太傅・寿光公の鄭沖が薨去(こうきょ)する。
『晋書』(武帝紀)

【閏01月】
己卯(きぼう)の日(17日)
晋の高陽王の司馬珪(しばけい)が薨去する。
『晋書』(武帝紀)

【閏01月】
庚辰(こうしん)の日(18日)
晋の太原王の司馬瓌(しばかい)が薨去する。
『晋書』(武帝紀)

【閏01月】
丁亥(ていがい)の日(25日)
晋の司馬炎が詔を下し、近年は後宮における尊卑の序列が乱れていることに触れ、「今後は妾媵(しょうよう。諸侯の娘が嫁入りする際に付き添う女性)(のような低い身分の者)をもって正妻としてはならない」と述べる。
『晋書』(武帝紀)

【02月】「平州の設置」
晋の司馬炎が、幽州から5郡を分けて平州を設置する。
『晋書』(武帝紀)

【03月】
癸亥(きがい)の日(2日)
日食が起こる。
『晋書』(武帝紀)

【04月】「荀顗(じゅんぎ)の死」
己未(きび)の日(28日)
晋の太尉・臨淮公の荀顗が薨去する。
『晋書』(武帝紀)

【06月】
癸巳の日(3日)
晋の司馬炎が聴訟観(ちょうしょうかん)に臨み、自ら未決囚に再尋問を行い、多くの囚人を許して釈放させる。
『晋書』(武帝紀)

【?月】
この夏、晋で蝗(イナゴ)が大発生する。
『晋書』(武帝紀)

【07月】「楊皇后の崩御」
丙寅(へいいん)の日(6日)
晋の皇后の楊氏(楊艶〈ようえん〉)が崩御する。
『晋書』(武帝紀)

【07月】
壬午(じんご)の日(22日)
呉の平虜将の孟泰(もうたい)と偏将軍の王嗣(おうし)らが、軍勢をひきいて晋に降る。
『晋書』(武帝紀)

【?月】
呉の会稽郡で「章安侯の孫奮(そんふん)が天子になるだろう」という妖言が広まる。

呉の臨海太守の奚熙(けいき)は、会稽太守の郭誕(かくたん)に書簡を送って国政を非難した。

郭誕は孫晧に、奚熙の(国政を非難した)書簡のことは上言したが、(孫奮が天子になるだろうという)妖言については上言しなかったということで、建安へ送られ、船を造る労役に充てられた。

一方で孫晧は、三郡督の何植(かしょく)を遣わして奚熙を捕らえようとしたが、奚熙は兵を徴用して守りを固め、海路を遮断した。

ところが、奚熙の子飼いの兵が奚熙を殺害した。奚熙の首は建業へ送られ、その一族も皆殺しになった。
『三国志』(呉書・孫晧伝)

『会稽邵氏家伝(かいけいしょうしかでん)』…郭誕の功曹を務めていた邵疇(しょうちゅう)の忠節について。

【07月】
呉の孫晧が、25人の使者を各地に遣わし、「その地に潜伏している逃亡者たちを摘発し、都(建業)へ送るように」と命ずる。
『三国志』(呉書・孫晧伝)

【07月】「陸抗(りくこう)の死」
呉の大司馬の陸抗が死去する。
『三国志』(呉書・孫晧伝)

【08月】
涼州虜が晋の金城などの諸郡を侵略したため、鎮西将軍・汝陰王の司馬駿(しばしゅん)が討伐にあたり、賊徒の首領である乞文泥(きつぶんでい)らを斬る。
『晋書』(武帝紀)

【08月】
戊申の日(19日)
晋の司馬炎が、元皇后(武元楊皇后)を峻陽陵に葬る。
『晋書』(武帝紀)

【09月】
癸亥の日(4日)
晋の司馬炎が、大将軍の陳騫(ちんけん)を太尉に任ずる。
『晋書』(武帝紀)

【09月】
癸亥の日(4日)
晋が呉の枳里城(しりじょう)を陥し、立信校尉の荘祐(そうゆう)を捕らえる。
『晋書』(武帝紀)

【09月】
癸亥の日(4日)
呉の将軍の孫遵(そんじゅん)と李承(りしょう)が軍勢をひきいて晋の江夏を攻めたものの、江夏太守の嵆喜(けいき)が撃破する。
『晋書』(武帝紀)

【09月】
癸亥の日(4日)
晋の司馬炎が、富平津(ふへいしん)に橋を架ける。
『晋書』(武帝紀)

⇒?月
晋の杜預(とよ)が、富平津に河橋を造る。
『正史 三国志8』の年表(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

⇒09月
晋の杜預が、富平津に河橋を造る。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表

杜預については、慣例として「どよ」と読まれるとのこと。

【11月】
晋の司馬炎が、洛陽城東の七里澗(しちりかん)に石橋を架ける。
『晋書』(武帝紀)

【11月】
庚午(こうご)の日(12日)
晋の司馬炎が宣武観に臨み、大規模な閲兵式を執り行う。
『晋書』(武帝紀)

【12月】
彗星が軫宿(しんしゅく。二十八宿のひとつ)に現れる。
『晋書』(武帝紀)

【12月】
晋の司馬炎が、籍田令の官を設置する。
『晋書』(武帝紀)

【12月】
晋の司馬炎が、太原王の息子の司馬緝(しばしゅう)を高陽王に封ずる。
『晋書』(武帝紀)

【12月】
呉の威北将軍の厳聡(げんそう)、揚威将軍の厳整(げんせい)、偏将軍の朱買(しゅばい)が晋に来降する。
『晋書』(武帝紀)

【?月】
この年、晋の司馬炎が、南山を切り開いて黄河の水を流し、それを東に注がせて洛水と合流させ、運河を通した。
『晋書』(武帝紀)

【?月】
呉では、「建衡(けんこう)」を「鳳皇(鳳凰)」と改元(272年)してからこの年(274年)まで、疫病が大流行して絶えることがなかった。
『三国志』(呉書・孫晧伝)

【?月】
この年、呉の孫晧が鬱林郡(うつりんぐん)を分割し、桂林郡を設置した。
『三国志』(呉書・孫晧伝)

【?月】「曹芳(そうほう)の死」
この年、魏の廃帝の曹芳が薨去した。
『正史 三国志8』の年表

⇒?月
この年、魏の廃帝の曹芳が薨去した。このとき44歳だった。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』の『三国志』年表

【?月】
この年、石勒(せきろく)が生まれた。
『正史 三国志8』の年表

特記事項

「この年(274年)に亡くなったとされる人物」
司馬瓌(しばかい)・司馬珪(しばけい)・荀顗(じゅんぎ)・曹芳(そうほう)・鄭沖(ていちゅう)・楊氏(ようし。武元楊皇后)・陸抗(りくこう)

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