163年(漢の延熹6年)の主な出来事

-163年- 癸卯(きぼう)
【漢】 延熹(えんき)6年 ※桓帝(劉志〈りゅうし〉)

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月別および季節別の主な出来事

【02月】
戊午(ぼご)の日(11日)
司徒の种暠(ちゅうこう)が死去する。
『後漢書』(桓帝紀)

【03月】
戊戌(ぼじゅつ)の日(22日)
桓帝が大赦を行う。
『後漢書』(桓帝紀)

【03月】
桓帝が、衛尉の許栩(きょく)を司徒に任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)

【04月】
辛亥(しんがい)の日(5日)
康陵(殤帝の陵)の東署で火災が起こる。
『後漢書』(桓帝紀)

【05月】
鮮卑が遼東属国に侵攻する。
『後漢書』(桓帝紀)

【07月】
甲申(こうしん)の日(10日)
平陵(昭帝の陵)の園寝で火災が起こる。
『後漢書』(桓帝紀)

【07月】
桂陽郡の盗賊である李研(りけん)らが郡界に侵攻する。
『後漢書』(桓帝紀)

【07月】
武陵蛮が再び反乱を起こしたものの、武陵太守の陳奉(ちんほう)がこれを大破し、降伏させる。
『後漢書』(桓帝紀)

【07月】
隴西太守(ろうせいたいしゅ)の孫羌(そんきょう)が滇那羌(てんなきょう)の討伐にあたり、これを討ち破る。
『後漢書』(桓帝紀)

【08月】
桓帝が、車騎将軍の馮緄(ふうこん)を罷免する。
『後漢書』(桓帝紀)

【10月】
丙辰(へいしん)の日(13日)
桓帝が、広成苑で狩猟を行い、函谷関や上林苑にも行幸する。
『後漢書』(桓帝紀)

⇒10月
桓帝が、広成で巻き狩りを行い、函谷関や上林苑に行幸する。陳蕃(ちんばん)がこれを諫めたものの、桓帝は聞き入れなかった。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

【11月】
桓帝が、司空の劉寵(りゅうちょう)を罷免する。
『後漢書』(桓帝紀)

【11月】
南海郡の賊が郡界に侵攻する。
『後漢書』(桓帝紀)

【12月】
桓帝が、衛尉の周景(しゅうけい)を司空に任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)

⇒12月
桓帝が、周景を司空に任ずる。周景は楊秉(ようへい)とともに上疏し、「宦官(かんがん)一味の無能な官吏を淘汰されますように」と主張する。これを受け、50余人が死刑や免職になった。
『正史 三国志8』の年表

【?月】
桓帝が、皇甫規(こうほき)を使匈奴中郎将に、張奐(ちょうかん)を度遼将軍に、それぞれ任ずる。また、段熲(だんけい)が護羌校尉に復職する。
『正史 三国志8』の年表

【?月】
尚書の朱穆(しゅぼく)が宦官の専横に憤って桓帝に上疏し、「宦官を政治の中枢から遠ざけられますように」と述べる。しかし朱穆は宦官勢力の圧迫を受け、まもなく憤死した。
『正史 三国志8』の年表

特記事項

「この年(163年)に生まれたとされる人物」
荀彧(じゅんいく)孫邵(そんしょう)杜畿(とき)

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