158年(〈漢の永寿4年〉→延熹元年)の主な出来事

-158年- 戊戌(ぼじゅつ)
【漢】 (永寿〈えいじゅ〉4年) → 延熹(えんき)元年 ※桓帝(かんてい。劉志〈りゅうし〉)

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月別および季節別の主な出来事

【03月】
己酉(きゆう)の日(4日)
桓帝が、初めて鴻徳苑令(こうとくえんれい)の官を設置する。
『後漢書(ごかんじょ)』(桓帝紀〈かんていぎ〉)

【05月】
己酉の日(4日)
桓帝が、公卿(こうけい)以下の百官と大いに会し、それぞれに差をつけて賞賜を下す。
『後漢書』(桓帝紀)

【05月】
甲戌(こうじゅつ)の日(29日)、晦(かい)
日食が起こる。
『後漢書』(桓帝紀)

【05月】
太史令(たいしれい)の陳授(ちんじゅ)が日食にかこつけ、梁冀(りょうき)の専横を非難する上陳を行う。 梁冀は陳授を捕らえて獄死させた。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

【05月】
洛陽(らくよう)で蝗(イナゴ)による害が発生する。
『後漢書』(桓帝紀)

【06月】「漢(かん)の改元」
戊寅(ぼいん)の日(4日)
桓帝が大赦を行い、「永寿」を「延熹」と改元する。
『後漢書』(桓帝紀)

【06月】
丙戌(へいじゅつ)の日(12日)
桓帝が、中山国(ちゅうざんこく)を分けて博陵郡(はくりょうぐん)を設置し、孝崇皇(こうすうこう)の園陵に充てる。
『後漢書』(桓帝紀)

『全譯後漢書 第2冊』(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉、岡本秀夫〈おかもと・ひでお〉、池田雅典〈いけだ・まさのり〉編 汲古書院)の補注によると、「銭大昕(せんたいきん)は『隷釈(れいせき)』により、博陵郡には少なくとも蠡吾(れいご)・安国(あんこく)・安平(あんぺい)・南深沢(なんしんたく)・高陽(こうよう)の諸県が属しており、もともと安平と南深沢は安平国に、高陽は河間国(かかんこく)に、それぞれ属していたことから、このときの博陵郡は、中山国のみから分割したわけではないことを指摘している」という。

【06月】
桓帝が、大規模な雩祭(うさい。雨乞いの儀礼)を執り行う。
『後漢書』(桓帝紀)

【07月】
甲子(こうし)の日(20日)
桓帝が、太尉(たいい)の黄瓊(こうけい)を罷免し、太常(たいじょう)の胡広(ここう)を太尉に任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)

【07月】
己巳(きし)の日(25日)
雲陽県(うんようけん)で地割れが起こる。
『後漢書』(桓帝紀)

【10月】
桓帝が、広成苑(こうせいえん)で狩猟を行い、上林苑(じょうりんえん)にも行幸する。
『後漢書』(桓帝紀)

【12月】
鮮卑(せんぴ)が辺境に侵攻する。使匈奴中郎将(しきょうどちゅうろうしょう)の張奐(ちょうかん)が、南匈奴(なんきょうど)の単于(ぜんう)をひきいてこれを討ち破った。
『後漢書』(桓帝紀)

⇒12月
南匈奴の諸部がそろって反乱を起こし、烏丸(うがん)や鮮卑とともに縁辺の諸郡に侵入したものの、張奐がこれを討ち破った。
『正史 三国志8』の年表

【?月】
この年、桓帝が皇女の劉華(りゅうか)を陽安長公主(ようあんちょうこうしゅ)に封ずる。劉華は、後に不其侯(ふきこう)・輔国将軍(ほこくしょうぐん)となる伏完(ふくかん)に降嫁した。
『後漢書』(皇后紀〈こうごうぎ〉)

特記事項

「この年(158年)に生まれたとされる人物」
管寧(かんねい)

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