201年(漢の建安6年)の主な出来事

-201年- 辛巳(しんし)
【漢】 建安(けんあん)6年 ※献帝(けんてい。劉協〈りゅうきょう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【02月】
丁卯(ていぼう)の日(1日)、朔(さく)
日食が起こる。
『後漢書(ごかんじょ)』(献帝紀〈けんていぎ〉)

【04月】
曹操(そうそう)が黄河(こうが)のほとりに兵を上陸させ、倉亭(そうてい)にいた袁紹(えんしょう)の駐屯軍を攻め、これを討ち破る。袁紹は鄴(ぎょう)に帰還すると離散した兵を収容し、自分に背いた冀州(きしゅう)の郡県の平定にあたった。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)

【09月】
曹操が許(きょ)に帰還する。袁紹は曹操に敗れる前、劉備(りゅうび)に汝南(じょなん)の攻略を命じており、汝南の賊の共都(きょうと。龔都)らが呼応していた。そこで曹操は蔡揚(さいよう。蔡陽)を遣わし共都を攻めるよう命じたが、逆に討ち破られた。
『三国志』(魏書・武帝紀)

【09月】
曹操が劉備討伐のため南方へ向かう。劉備は曹操自身が出馬したと聞き、劉表(りゅうひょう)のもとに逃走した。共都(龔都)らも散りぢりになった。
『三国志』(魏書・武帝紀)

⇒?月
曹操が汝南の劉備を攻める。敗れた劉備は劉表のもとに身を寄せた。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

⇒09月
劉備が汝南で曹操に敗れ、荊州(けいしゅう)の劉表のもとに身を寄せる。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補・改訂版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 潮書房光人社)の『三国志』年表

【?月】
この年、劉璋(りゅうしょう)が巴郡(はぐん)を分割(再編)し「永寧郡(えいねいぐん)」を「巴東郡(はとうぐん)」としたうえ、墊江県(てんこうけん)を(治所としていたこれまでの巴郡を)「巴西郡(はせいぐん)」とした。
『後漢書』(郡国志〈ぐんこくし〉)の劉昭注(りゅうしょうちゅう)に引く譙周(しょうしゅう)の『巴記(はき)』

【?月】
この年、趙岐(ちょうき)が死去した。
『正史 三国志8』の年表

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正史年表 200年代
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