-283年- 癸卯(きぼう)
【晋】 太康(たいこう)4年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉)
月別および季節別の主な出来事
【01月】
甲申(こうしん)の日(?日。「甲辰〈こうしん〉の日」なら1月4日となり、「庚申〈こうしん〉の日」なら1月20日となる。次の「甲申の日」だと2月14日になるが……)
司馬炎が、尚書右僕射(しょうしょゆうぼくや)の魏舒(ぎじょ)を尚書左僕射(しょうしょさぼくや)に、下邳王の司馬晃(しばこう)を尚書右僕射に、それぞれ任ずる。
『晋書』(武帝紀)
【01月】「山濤(さんとう)の死」
戊午(ぼご)の日(18日)
司徒の山濤が薨去(こうきょ)する。
『晋書』(武帝紀)
【02月】
己丑(きちゅう)の日(19日)
司馬炎が、長楽亭侯の司馬寔(しばしょく)を北海王に封ずる。
『晋書』(武帝紀)
【03月】
辛丑(しんちゅう)の日(2日?。この月の朔日〈さくじつ〉は「庚子〈こうし〉の日」のはずだが……)、朔
日食が起こる。
『晋書』(武帝紀)
【03月】「司馬攸(しばゆう)の死」
癸丑(きちゅう)の日(14日)
大司馬・斉王の司馬攸が薨去する。
『晋書』(武帝紀)
【04月】
任城王(じんじょうおう)の司馬陵(しばりょう)が薨去する。
『晋書』(武帝紀)
【05月】「司馬伷(しばちゅう)の死」
己亥(きがい)の日(1日)、朔
大将軍・琅邪王(ろうやおう)の司馬伷が薨去する。
『晋書』(武帝紀)
【05月】
己亥の日(1日)、朔
司馬炎が、遼東王の司馬蕤(しばずい)を東萊王(とうらいおう)に移封する。
『晋書』(武帝紀)
【06月】
司馬炎が、九卿の秩禄を増やす。
『晋書』(武帝紀)
【06月】
牂柯(そうか)の獠族(りょうぞく)の2千余の部落が内属する。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
壬子(じんし)の日(14日)
司馬炎が、尚書右僕射・下邳王の司馬晃を都督青州諸軍事に任ずる。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
丙寅(へいいん)の日(28日)
兗州で洪水が発生したため、司馬炎が被災地の田租を免除する。
『晋書』(武帝紀)
【08月】
鄯善国(ぜんぜんこく)の王子が入朝し、司馬炎が帰義侯に封ずる。
『晋書』(武帝紀)
【08月】
司馬炎が、隴西王(ろうせいおう)の司馬泰(しばたい)を尚書右僕射に任ずる。
『晋書』(武帝紀)
【11月】
戊午(ぼご)の日(22日)
新都王の司馬該(しばがい)が薨去する。
『晋書』(武帝紀)
【11月】
戊午の日(22日)
司馬炎が、尚書左僕射の魏舒を司徒に任ずる。
『晋書』(武帝紀)
【12月】
庚午(こうご)の日(5日)
司馬炎が、宣武観で大規模な閲兵式を執り行う。
『晋書』(武帝紀)
【12月】「孫晧(そんこう)の死?」
(帰命侯の)孫晧が死去する。このとき42歳だった。その後、孫晧は河南県に葬られた。
『三国志』(呉書・孫晧伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『呉録』
★『三国志』(呉書・孫晧伝)には、「孫晧は太康5(284)年に洛陽で死去した」とあった。なぜ本伝と『呉録』に食い違いがあるのかはわからなかった。
【?月】
この年、河内および荊州と揚州で洪水が発生した。
『晋書』(武帝紀)
特記事項
「この年(283年)に亡くなったとされる人物」
山濤(さんとう)・司馬該(しばがい)・司馬伷(しばちゅう)・司馬攸(しばゆう)・司馬陵(しばりょう)・孫晧(そんこう)?
★孫晧については、さらなる考察を要する。
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