-283年- 癸卯(きぼう)
【晋】 太康(たいこう)4年 ※武帝(ぶてい。司馬炎〈しばえん〉)
月別および季節別の主な出来事
【01月】「山濤(さんとう)の死」
晋(しん)の山濤が死去する(205年~)。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表
【03月】「司馬攸(しばゆう)の死」
晋の司馬炎の冷遇を受け、同母弟で斉王(せいおう)の司馬攸が憤死する。
『正史 三国志8』の年表
【10月】
晋の司馬炎が、魏舒(ぎじょ)を司徒(しと)に任ずる。
『正史 三国志8』の年表
【12月】「孫晧(そんこう)の死?」
孫晧が死去する。このとき42歳だった。その後、孫晧は河南県(かなんけん)に葬られた。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫晧伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『呉録(ごろく)』
⇒12月
晋の帰命侯(きめいこう)の孫晧が、洛陽(らくよう)で死去する(242年~)。
『正史 三国志8』の年表
★なお『三国志』(呉書・孫晧伝)には、「孫晧は太康5(284)年に洛陽で死去した」とあった。なぜ本伝と『呉録』に食い違いがあるのかはわからなかった。
特記事項
「この年(283年)に亡くなったとされる人物」
山濤(さんとう)・孫晧(そんこう)?
★孫晧については、さらなる考察を要する。
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