-284年- 甲辰(こうしん)
【晋】 太康(たいこう)5年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉)
月別および季節別の主な出来事
【01月】
己亥(きがい)の日(4日)
2頭の青龍が、武庫の井戸の中に現れる。
『晋書』(武帝紀)
【02月】
丙寅(へいいん)の日(2日)
司馬炎が、南宮王(司馬承〈しばしょう〉)の息子の司馬玷(しばてん。司馬祐〈しばゆう〉)を長楽王に封ずる。
『晋書』(武帝紀)
【02月】
壬辰(じんしん)の日(28日)
地震が起こる。
『晋書』(武帝紀)
★ここでは具体的な場所についての記述はなかった。
【04月】
任城(じんじょう)と魯国の池の水が、血のように赤くなる。
『晋書』(武帝紀)
【05月】
丙午(へいご)の日(13日)
宣帝廟(司馬懿〈しばい〉の廟)の梁(はり)が折れる。
『晋書』(武帝紀)
【06月】
司馬炎が、初めて黄沙獄(こうさごく)を設置する。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
戊申(ぼしん)の日(16日)
皇子の司馬恢(しばかい)が薨去(こうきょ)する。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
戊申の日(16日)
任城・梁国・中山(ちゅうざん)で雹(ひょう)が降り、秋の作物を傷つける。これを受けて司馬炎は、全国の戸ごとの税のうち3分の1を減税する。
『晋書』(武帝紀)
【09月】
南安が暴風に見舞われて樹木が折れ、5つの郡国で洪水が発生し、霜が降って秋の作物を傷つける。
『晋書』(武帝紀)
【11月】
甲辰(こうしん)の日(14日)
太原王の司馬輔(しばほ)が薨去する。
『晋書』(武帝紀)
【12月】
庚午(こうご)の日(10日)
司馬炎が大赦を行う。
『晋書』(武帝紀)
【12月】
林邑と大秦国からそれぞれ使者が来朝し、献上品を捧げる。
『晋書』(武帝紀)
【閏12月】「杜預(とよ)の死」
鎮南大将軍・当陽侯の杜預が死去する。
『晋書』(武帝紀)
★杜預については、慣例として「どよ」と読まれるとのこと。
【?月】「孫晧(そんこう)の死?」
この年、(帰命侯の)孫晧が洛陽で死去した。
『三国志』(呉書・孫晧伝)
★『三国志』(呉書・孫晧伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『呉録』には、「孫晧は太康4(283)年12月に洛陽で死去し、このとき42歳だった。その後、孫晧は河南県に葬られた」とあった。なぜ本伝と『呉録』に食い違いがあるのかはわからなかった。
特記事項
「この年(284年)に亡くなったとされる人物」
司馬恢(しばかい)・司馬輔(しばほ)・孫晧(そんこう)?・杜預(とよ。どよ)
そして、時は流れ――。
晋の太安(たいあん)元(302)年
このときは恵帝(司馬衷〈しばちゅう〉)の時代。
【?月】「曹奐(そうかん)の死」
陳留王の曹奐が薨去する。
『三国志』(魏書・陳留王紀)の裴松之注に引く『魏世譜』
この記事をもって、正史『三国志』(裴松之注も含む)は幕を下ろす。
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