235年(魏の青龍3年・蜀の建興13年・呉の嘉禾4年)の主な出来事

-235年- 乙卯(いつぼう)
【魏】 青龍(せいりょう)3年 ※明帝(めいてい。曹叡〈そうえい〉)
【蜀】 建興(けんこう)13年 ※後主(こうしゅ。劉禅〈りゅうぜん〉)
【呉】 嘉禾(かか)4年 ※大帝(たいてい。孫権〈そんけん〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
戊子(ぼし)の日(8日)
魏(ぎ)の曹叡が大将軍(だいしょうぐん)の司馬懿(しばい)を太尉(たいい)に任ずる。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・明帝紀〈めいていぎ〉)

【01月】
己亥(きがい)の日(19日)
魏の曹叡が再び朔方郡(さくほうぐん)を設置する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【01月】
魏の洛陽(らくよう)で疫病が大流行する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【01月】
蜀(しょく)の中軍師(ちゅうぐんし)の楊儀(ようぎ)が罷免され漢嘉郡(かんかぐん)に配流(はいる)される。
『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・後主伝〈こうしゅでん〉)

⇒01月
蜀の楊儀が自殺に追い込まれる。楊儀は諸葛亮(しょかつりょう)の陣没後、対立していた魏延(ぎえん)を殺害したものの、ついに権力を握ることはできなかった。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

⇒04月
(1月に失脚し、漢嘉郡に配流されていた)蜀の楊儀が処遇に不満を抱いて自殺する。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補・改訂版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 潮書房光人社)の『三国志』年表

【02月】「郭太后(かくたいこう。文徳郭皇后〈ぶんとくかくこうごう〉)の崩御(ほうぎょ)」
丁巳(ていし)の日(8日)
魏の郭太后が崩御する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【02月】
乙亥(いつがい)の日(26日)
魏の寿光県(じゅこうけん)に隕石が落ちる。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【03月】
庚寅(こういん)の日(11日)
魏の曹叡が文徳郭后(郭太后)を埋葬し、首陽陵(しゅようりょう。曹丕〈そうひ〉の陵)の谷川の西に御陵(みささぎ)を造営する。これらは生前に文帝(ぶんてい。曹丕)が遺した定め通りに執り行われた。
『三国志』(魏書・明帝紀)

『啓蒙注(けいもうちゅう)』…魏の時代、ある人が周王(しゅうおう)の墳墓を発(あば)き、殉死者として埋葬されていた女性を見つけたが、その女性が数日後に息を吹き返したという話。

【?月】
魏の曹叡が洛陽宮を大規模に修理させ、昭陽殿(しょうようでん)と太極殿(たいごくでん)を新造したうえ総章観(そうしょうかん)も築く。これを受け民の不満が高まったため、楊阜(ようふ)や高堂隆(こうどうりゅう)らが何度も曹叡に諫言したが、聞き入れられなかった。
『三国志』(魏書・明帝紀)

『魏略(ぎりゃく)』…新たに造営された太極諸殿や総章観の壮大で豪奢な様子について、および太子舎人(たいししゃじん)の張茂(ちょうぼう)が曹叡を諫めた上書。

【04月】
蜀の劉禅が蔣琬(しょうえん)を大将軍に任ずる。
『三国志』(蜀書・後主伝)

⇒04月
蜀の劉禅が、蔣琬を大将軍・録尚書事(ろくしょうしょじ)に、費禕(ひい)を尚書令(しょうしょれい)に、それぞれ任ずる。
『正史 三国志8』の年表

【夏】
呉(ご)の孫権が呂岱(りょたい)を遣わし、先に廬陵(ろりょう)で反乱を起こした李桓(りかん)らを討伐させる。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呉主伝〈ごしゅでん〉)

⇒?月
この年、廬陵郡の賊徒の李桓と路合(ろごう)、会稽郡(かいけいぐん)東冶(とうや)の賊徒の随春(ずいしゅん)、南海郡(なんかいぐん)の賊徒の羅厲(られい)らが時を同じくして蜂起した。孫権は再び呂岱に詔(みことのり)を下し、劉纂(りゅうさん)と唐咨(とうし)らを指揮してそれぞれの討伐にあたらせた。

すぐに随春が罪を認めて降伏すると、呂岱は随春を偏将軍(へんしょうぐん)に任じ、それまでの配下をそのまま指揮させた。のちに随春は呉の列将のひとりにまでなった。李桓や羅厲らはみな斬首されたり捕らえられたりし、その首級(くび)は都(建業〈けんぎょう〉)に送られた。
『三国志』(呉書・呂岱伝)

【07月】
魏の洛陽で崇華殿(すうかでん)が炎上する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【07月】
呉で雹(ひょう)が降る。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【08月】
丁巳(ていし)の日(11日)
魏の曹叡が洛陽宮に還幸する。曹叡は担当官吏に崇華殿の再建を命じ、九龍殿(きゅうりょうでん)と改めた。
『三国志』(魏書・明帝紀)

この記事は次の8月(庚午〈こうご〉の日。24日)の記事のあとに置かれていたが、8月11日のこととして取っておく。ちなみに次の丁巳の日は10月11日となる。

【08月】
庚午の日
魏の曹叡が、息子の曹芳(そうほう)を斉王(せいおう)に、同じく曹詢(そうしゅん)を秦王(しんおう)に、それぞれ封ずる。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【10月】
己酉(きゆう)の日(3日)
魏の中山王(ちゅうざんおう)の曹袞(そうこん)が薨去(こうきょ)する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【10月】
壬申(じんしん)の日(26日)
太白星(たいはくせい。金星)が昼間に現れる。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【11月】
丁酉(ていゆう)の日(22日)
魏の曹叡が許昌宮(きょしょうきゅう)に行幸する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

『魏氏春秋(ぎししゅんじゅう)』…この年、張掖郡(ちょうえきぐん)サク丹県(さくたんけん。册+刂)の山奥の金山近くの川があふれ、「図の描かれた神秘的な亀のような形をした宝石」が出たという話。

『世語(せいご)』…『魏氏春秋』の話の補足。また、出てきた宝石の中には鶏の形をしたものもあったという話。

『捜神記(そうじんき)』…漢(かん)の元帝(げんてい)と成帝(せいてい)の時代にいたという、予知能力者の話。

『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』…氐池県(ていちけん)の大柳谷口(だいりゅうこくこう)で、夜に激しい波が立って川があふれ、明け方になり青い石が水中にそびえ立ったという話。

【?月】
この年、呉の孫権が魏の曹叡の申し入れに応じ、(魏の)馬と(呉の)珠璣(しゅき。真珠)・翡翠(ひすい)・瑇瑁(たいまい)とを交換した。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【?月】
この年、魏の幽州刺史(ゆうしゅうしし)の王雄(おうゆう)が、刺客を送って軻比能(かひのう)を暗殺した。
『正史 三国志8』の年表

「この年(235年)に亡くなったとされる人物」
郭氏(かくし)B ※曹丕(そうひ)の妻曹袞(そうこん)曹範(そうはん)A ※曹拠(そうきょ)の息子陳震(ちんしん)楊儀(ようぎ)

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正史年表 230年代
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今日も三国志日和 – 史実と創作からみる三国志の世界 –

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