236年(魏の青龍4年・蜀の建興14年・呉の嘉禾5年)の主な出来事

-236年- 丙辰(へいしん)
【魏】 青龍(せいりょう)4年 ※明帝(めいてい。曹叡〈そうえい〉)
【蜀】 建興(けんこう)14年 ※後主(こうしゅ。劉禅〈りゅうぜん〉)
【呉】 嘉禾(かか)5年 ※大帝(たいてい。孫権〈そんけん〉)

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月別および季節別の主な出来事

【春】
呉(ご)の孫権が大銭(だいせん)を鋳造する。この大銭ひとつが500銭の価値を持つと定めた。また、詔(みことのり)を下して官吏や民衆から銅を供出させ、その重さに応じて相当の値段で買い取った。さらに貨幣の盗鋳に対する罰則も定めた。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呉主伝〈ごしゅでん〉)

【02月】
呉の孫権のもとに、「武昌(ぶしょう)の礼賓殿(れいひんでん)に甘露が降った」との報告が届く。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【02月】
太白星(たいはくせい。金星)が昼間に現れる。月が太白星を犯し、さらに軒轅(けんえん。しし座)を犯して、太微(たいび。星垣〈せいえん〉。しし座の西端にある10星)の領域に入ったあと出ていった。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・明帝紀〈めいていぎ〉)

【?月】「張昭(ちょうしょう)の死」
呉の輔呉将軍(ほごしょうぐん)の張昭が死去する。
『三国志』(呉書・呉主伝)

⇒03月
呉の張昭が死去する。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

【04月】
魏の曹叡が崇文観(すうぶんかん)を設置し、文章に秀でた者を召し出して任用する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【04月】
蜀(しょく)の劉禅が湔(せん)に行幸し、観阪(かんはん)に登って汶水(ぶんすい)の流れを見、10日して成都(せいと)に還幸する。
『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・後主伝〈こうしゅでん〉)

裴松之(はいしょうし)の説…湔は県名であり、蜀郡に属している。音は「翦(せん)」である。

【05月】
乙卯(いつぼう)の日(13日)
魏の司徒(しと)の董昭(とうしょう)が死去する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【05月】
丁巳(ていし)の日(15日)
粛慎氏(しゅくしんし)が、魏の曹叡に楛矢(こし)を献上する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

『正史 三国志1』(今鷹真〈いまたか・まこと〉、井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま学芸文庫)の訳者注によると、「楛は、にんじんぼくに似た落葉高木。矢を作るのに用いた」という。

【06月】
壬申(じんしん)の日(1日)
魏の曹叡が詔を下す。「以前に死刑の条項について検討させ、その多くを削除したにもかかわらず、郡国では獄死する者が年に数百人を超えている」とし、「担当官吏は裁判について論議し、死刑を緩和して、努めて寛大簡略な処置に従うように」というもの。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【夏】
呉では、昨年(235年)10月から雨が降らなくなっていたが、その状況がこの夏まで続いた。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【07月】
高句驪王(こうくりおう。高句麗王)の位宮(いきゅう)が、呉の孫権の使者である胡衛(こえい)らを斬り、その首を魏の幽州(ゆうしゅう)に送り届ける。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【07月】
甲寅(こういん)の日(13日)
太白星が軒轅大星(けんえんたいせい。しし座のアルファ星)を犯す。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【10月】
己卯(きぼう)の日(10日)
魏の曹叡が洛陽宮(らくようきゅう)に還幸する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【10月】
甲申(こうしん)の日(15日)
彗星(すいせい)が大辰(たいしん。大火〈たいか〉。さそり座のアンタレス)に現れ、乙酉(いつゆう)の日(16日)にも東方に現れた。
『三国志』(魏書・明帝紀)

⇒10月
東方に彗星が現れる。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【11月】
己亥(きがい)の日(?日)
彗星が現れ、宦者天紀星(かんじゃてんきせい)を犯す。
『三国志』(魏書・明帝紀)

『正史 三国志1』の訳者注によると「宦者は宦官(かんがん)にあたる星座。天帝にあたる紫微宮(しびきゅう)のそばにあり4星。天紀は九卿にあたる星座で9星」という。

【12月】「陳羣(ちんぐん)の死」
癸巳(きし)の日(24日)
魏の司空(しくう)の陳羣が死去する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【12月】
乙未(いつび)の日(26日)
魏の曹叡が許昌宮(きょしょうきゅう)に行幸する。
『三国志』(魏書・明帝紀)

【?月】
この年、蜀の劉禅が、武都(ぶと)の氐族(ていぞく)の王である苻健(ふけん)と氐族の民400戸余りを、広都(こうと)に移住させる。
『三国志』(蜀書・後主伝)

【?月】
この年、呉の中郎将(ちゅうろうしょう)の吾粲(ごさん)が李桓(りかん)を捕らえ、将軍の唐咨(とうし)が羅厲(られい)らを捕らえる。李桓と羅厲は、先の234年に廬陵(ろりょう)で反乱を起こしていたもの。
『三国志』(呉書・呉主伝)

この件については、昨年(235年)の『三国志』(呉書・呂岱伝〈りょたいでん〉)でも触れられていた。反乱が平定された時期に揺れが感じられるものの、内容には無理がない。

【?月】
この年、呉の鄱陽(はよう)の彭旦(ほうたん)らが反乱を起こした。
『三国志』(呉書・呉主伝)

特記事項

「この年(236年)に亡くなったとされる人物」
徐宣(じょせん)曹偃(そうえん)張昭(ちょうしょう)A ※あざなは子布(しふ)陳羣(ちんぐん)A ※陳寔(ちんしょく)の孫董昭(とうしょう)

「この年(236年)に生まれたとされる人物」
劉弘(りゅうこう)A ※劉靖(りゅうせい)C(劉静ともある。劉馥〈りゅうふく〉の息子)の息子

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