282年(晋の太康3年)の主な出来事

-282年- 壬寅(じんいん)
【晋】 太康(たいこう)3年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】「秦州の廃止」
丁丑(ていちゅう)の日(1日)、朔(さく)
司馬炎が、秦州を廃止して雍州に併せる。
『晋書』(武帝紀)

【01月】
甲午(こうご)の日(18日)
司馬炎が、尚書の張華(ちょうか)を都督幽州諸軍事に任ずる。
『晋書』(武帝紀)

【03月】
安北将軍の厳詢(げんじゅん)が、鮮卑の慕容廆(ぼようかい)を昌黎(しょうれい)で破り、数万人を殺傷する。
『晋書』(武帝紀)

【04月】「賈充(かじゅう)の死」
庚午(こうご)の日(25日)
太尉・魯公の賈充が薨去(こうきょ)する。
『晋書』(武帝紀)

【閏04月】
丙子(へいし)の日(1日)、朔
司徒・広陸侯の李胤(りいん)が薨去する。
『晋書』(武帝紀)

【閏04月】
癸丑(きちゅう)の日(?日。5月9日が「癸丑の日」だが……)
2頭の白龍が済南に現れる。
『晋書』(武帝紀)

【08月】
司馬炎が、平州刺史と寧州刺史について、3年ごとに入朝して報告させることをやめる。
『晋書』(武帝紀)

参照した原文に「秋七月」とあったり「秋八月」とあったりしたため、イマイチはっきりしなかった。

【09月】
東夷の29か国が帰化し、それぞれ特産品を献上する。
『晋書』(武帝紀)

【09月】
旧呉の将軍の莞恭(かんきょう)と帛奉(はくほう)が反乱を起こし、建業令を攻め殺す。さらに反乱軍は揚州を包囲したが、徐州刺史の嵆喜(けいき)が討伐にあたって平定する。
『晋書』(武帝紀)

【12月】
甲申(こうしん)の日(13日)
司馬炎が、司空・斉王の司馬攸(しばゆう)を大司馬・督青州諸軍事に、鎮東大将軍・琅邪王(ろうやおう)の司馬伷(しばちゅう)を撫軍大将軍に、汝南王の司馬亮(しばりょう)を太尉に、光禄大夫の山濤(さんとう)を司徒に、尚書令の衛瓘(えいかん)を司空に、それぞれ任ずる。
『晋書』(武帝紀)

⇒12月
晋の司馬炎が諸臣の反対を押し切り、同母弟の司馬攸に、封国の斉への帰藩を命ずる。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表

【12月】
丙申(へいしん)の日(25日)
司馬炎が詔を下し、水害や干害の被害が大きかった地域の田租を出させないことにする。
『晋書』(武帝紀)

【?月】
この年、晋の司馬炎が「占田・課田制」を実施する。自作農や旧屯田民に田地を与え、租調(田租と上納品)を課す制度。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』の『三国志』年表

特記事項

「この年(282年)に亡くなったとされる人物」
賈充(かじゅう)薛瑩(せつえい)・李胤(りいん)

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