200~209年の主な出来事(ダイジェスト版)

こちらの10年間では、孫策(そんさく)・董承(とうしょう)・鄭玄(ていげん)・袁紹(えんしょう)・公孫度(こうそんたく)・太史慈(たいしじ)・張繡(ちょうしゅう)・郭嘉(かくか)・劉表(りゅうひょう)・孔融(こうゆう)・曹沖(そうちゅう)・司馬徽(しばき)・劉琦(りゅうき)らが世を去り――。

官渡(かんと)の戦い、そしてその後の冀州(きしゅう)を巡る戦いで曹操(そうそう)に敗れた袁紹側から、顔良(がんりょう)・文醜(ぶんしゅう)・淳于瓊(じゅんうけい)・審配(しんぱい)といった将軍(しょうぐん)たちはもとより、田豊(でんほう)・沮授(しょじゅ)・逢紀(ほうき)・許攸(きょゆう)ら参謀に至るまで多数の有能な人材が亡くなりました。

一方で譙周(しょうしゅう)・姜維(きょうい)・諸葛恪(しょかつかく)・韋昭(いしょう)・曹叡(そうえい。謎が残る)?・山濤(さんとう)・劉禅(りゅうぜん)・司馬師(しばし)・管輅(かんろ)・夏侯玄(かこうげん)・孫登(そんとう)らが誕生。

袁氏を滅ぼして劉氏(りゅうし。劉琮〈りゅうそう〉)も降し、着々と勢力を拡大する曹操でしたが、諸葛亮(しょかつりょう)を得た劉備(りゅうび)と、その劉備と協力関係を結んだ孫権(そんけん)が立ちはだかります。そして赤壁(せきへき)の戦いにおける大敗により、曹操は天下統一の夢を砕かれてしまいました。

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年別の主な出来事

-200年-
董承らの曹操殺害計画が発覚。
曹操の劉備討伐。敗れた劉備は袁紹を頼る。
関羽(かんう)が曹操に降伏。
孫策の死去。
官渡の戦い。
董承・鄭玄・顔良・文醜・淳于瓊・田豊・沮授の死。

-201年-
倉亭(そうてい)の戦い。
再び曹操に敗れた劉備が劉表を頼る。
譙周の誕生。

-202年-
袁紹の死去。
逢紀の死。
姜維の誕生。

-203年-
淩操(りょうそう)の死。
諸葛恪の誕生。

-204年-
曹操の鄴城(ぎょうじょう)攻略。
公孫度・孫翊(そんよく)・孫河(そんか)・審配・許攸の死。
韋昭の誕生。

-205年-
曹操の袁譚(えんたん)討伐。
黒山(こくざん)の張燕(ちょうえん)が曹操に降伏。
袁譚・郭図(かくと)の死。
曹叡(謎が残る)?・山濤の誕生。

-206年-
曹操の高幹(こうかん)討伐。
高幹・太史慈の死。

-207年-
曹操の烏丸(うがん。烏桓)遠征。
劉備の三顧の礼(さんこのれい)に応え、諸葛亮が出廬(しゅつろ)。
袁熙(えんき)・袁尚(えんしょう)・張繡・郭嘉の死。
劉禅の誕生。

-208年-
曹操の丞相(じょうしょう)就任。
劉表の死去。
曹操が孔融を処刑。
劉琮が曹操に降伏。
長坂(ちょうはん)の戦い。
劉備と孫権が協力関係を結ぶ。
赤壁の戦い。
曹沖・黄祖(こうそ)・司馬徽・劉馥(りゅうふく)の死。
司馬師の誕生。

-209年-
劉備が孫権の妹を娶る。
伏完(ふくかん)・劉琦の死。
管輅・夏侯玄・孫登の誕生。

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正史年表 200年代
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