-261年- 辛巳(しんし)
【魏】 景元(けいげん)2年 ※元帝(曹奐〈そうかん〉)
【蜀】 景耀(けいよう)4年 ※後主(劉禅〈りゅうぜん〉)
【呉】 永安(えいあん)4年 ※景帝(孫休〈そんきゅう〉)
月別および季節別の主な出来事
【03月】
蜀の劉禅が、亡き将軍の趙雲(ちょううん)に諡号(しごう)を追贈する。
『三国志』(蜀書・後主伝)
【05月】
丁未(ていび)の日(1日)、朔(さく)
日食が起こる。
『三国志』(魏書・陳留王紀)
★ここは干支(かんし)を補っておく。
【05月】
呉で大雨が降り、川や谷があふれる。
『三国志』(呉書・孫休伝)
【07月】
楽浪の外に住む、蛮族の国の韓と濊貊(わいばく)が、それぞれ部族民を引き連れて魏に朝貢する。
『三国志』(魏書・陳留王紀)
【08月】
戊寅(ぼいん)の日(3日)
魏の趙王の曹幹(そうかん)が薨去(こうきょ)する。
『三国志』(魏書・陳留王紀)
【08月】
呉の孫休が詔を下し、光禄大夫の周奕(しゅうえき)と石偉(せきい)に国内の巡察を命ずる。その後、この巡察の結果に基づき、地方官の昇進と左遷を命ずる詔も下された。
『三国志』(呉書・孫休伝)
★『楚国先賢伝』…石偉について。
【08月】
甲寅(こういん)の日(9月10日?)
魏の曹奐が詔を下し、大将軍の司馬昭(しばしょう)を相国に昇進させ、晋公に封じて九錫(きゅうせき)を加えることについて、「先の詔の通りとするように」と再び命ずる。しかし、またも司馬昭が固辞したので沙汰やみになった。
『三国志』(魏書・陳留王紀)
【09月】
呉の孫休のもとに、「鬱林郡(うつりんぐん)の布山で白龍が現れた」との報告が届く。
『三国志』(呉書・孫休伝)
【10月】
蜀の劉禅が大赦を行う。
『三国志』(蜀書・後主伝)
【10月】「黄皓(こうこう)の専横」
蜀の劉禅が、董厥(とうけつ)を輔国大将軍に、諸葛瞻(しょかつせん)を都護・衛将軍に、それぞれ任じ、共同で尚書の職務をつかさどらせる。ただ、実際には中常侍の黄皓が蜀の宮廷を牛耳っていた。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表
★『三国志』(蜀書・諸葛亮伝〈しょかつりょうでん〉)に付された「諸葛瞻伝」によると、「諸葛瞻は景耀4(261)年、行都護・衛将軍となり、輔国大将軍・南郷侯の董厥とともに、平尚書事となった」という。
【?月】
呉の薛珝(せつく)が蜀に遣わされる。薛珝は帰国後、孫休に蜀の政治の不振ぶりを報告した。
『正史 三国志8』の年表
【?月】
この年、呉の丹楊郡安呉の平民である陳焦(ちんしょう)が亡くなる。彼は埋葬された6日後に生き返り、穴を穿(うが)って出てきたという。
『三国志』(呉書・孫休伝)
【?月】
この年、鮮卑索頭部の大人(たいじん。部族の有力者)である拓跋力微(たくばつりきび)が、息子を連れて魏に入貢した。
『正史 三国志8』の年表
【?月】「陸機(りくき)の誕生」
この年、陸機が生まれた(~303年)。
『正史 三国志8』の年表
特記事項
「この年(261年)に亡くなったとされる人物」
王基(おうき)・州泰(しゅうたい)・曹幹(そうかん)・孫該(そんがい)・楊戯(ようぎ)
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