240年(魏の正始元年・蜀の延熙3年・呉の赤烏3年)の主な出来事

-240年- 庚申(こうしん)
【魏】 正始(せいし)元年 ※少帝(しょうてい。曹芳〈そうほう〉)
【蜀】 延熙(えんき)3年 ※後主(こうしゅ。劉禅〈りゅうぜん〉)
【呉】 赤烏(せきう)3年 ※大帝(たいてい。孫権〈そんけん〉)

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月別および季節別の主な出来事

【春】
蜀(しょく)の劉禅が張嶷(ちょうぎょく)を越嶲太守(えっすいのたいしゅ)に任じ、越嶲郡の平定を命ずる。
『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・後主伝〈こうしゅでん〉)

【01月】
呉(ご)の孫権が詔(みことのり)を下す。最近の情勢について触れ、民がしばしば軍役に駆り出され、水害や旱(ひでり)の年も重なって穀物の実りが不十分であること。そして、役人の中には農繁期の民を労役に充て、飢餓(きが)と困窮を招く者がいることを指摘。

それらを踏まえ「今後、督軍(とくぐん)と郡守(ぐんしゅ。太守〈たいしゅ〉)は法を守らない者を注意深く察知し、農桑のときに労役で民を乱す者は、これを摘発して上聞するように」というもの。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呉主伝〈ごしゅでん〉)

【02月】
乙丑(いっちゅう)の日(?日)
魏(ぎ)の曹芳が、侍中(じちゅう)・中書監(ちゅうしょかん)の劉放(りゅうほう)と侍中・中書令(ちゅうしょれい)の孫資(そんし)に左右光禄大夫(さゆうこうろくたいふ)の官を加官する。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・斉王紀〈せいおうぎ〉)

『正史 三国志1』(今鷹真〈いまたか・まこと〉、井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま学芸文庫)の訳者注によると「乙丑は2月にない。乙酉(いつゆう)の間違いだろうか。それならば5日になる」という。

左右光禄大夫について、あとのくだりでは左光禄大夫の劉放、右光禄大夫の孫資とある。

【02月】
丙戌(へいじゅつ)の日(6日)
遼東(りょうとう)の汶県(ぶんけん)・北豊(ほくほう)の両県の民が、海を渡り魏に流亡して来る。このため曹芳は斉郡(せいぐん)の西安(せいあん)・臨菑(りんし)・昌国(しょうこく)の3県の境域を区切り、新汶県(しんぶんけん)と南豊県(なんぽうけん)を設置して流民たちを住まわせた。
『三国志』(魏書・斉王紀)

【03月】
昨年(239年)の12月からこの月(3月)まで、魏では雨が降らなかった。
『三国志』(魏書・斉王紀)

【03月】
丙寅(へいいん)の日(17日)
魏の曹芳が詔を下す。「裁判を担当する官吏は速やかに無実の者に正しい処置を施してその罪を減免し、微罪の者についても審理したうえで出獄させよ」というもの。また、三公・九卿(きゅうけい)・士人らに対しても、「正しい言葉と優れた計策を献じ、それぞれの考えを十分に表明するように」と命じた。
『三国志』(魏書・斉王紀)

【04月】
魏の車騎将軍(しゃきしょうぐん)の黄権(こうけん)が死去する。
『三国志』(魏書・斉王紀)

【04月】
呉の孫権が大赦を行う。また、郡県に詔を下し「城郭を修理して物見の楼を建て、塹壕(ざんごう)や堀を掘り群盗に備えるように」と命じた。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【07月】
魏の曹芳が詔を下す。「今まさしく民に物資が不足しているというのに、御府(ぎょふ。宮中で使用する衣服などを作るところ)がおびただしい金銀の細工物を製作しているのは、いったいどういうつもりか」として、「150種の金製や銀製の品、合わせて1,800斤(きん)以上を供出し、これを溶かして軍費にせよ」というもの。
『三国志』(魏書・斉王紀)

【08月】
魏の曹芳が洛陽(らくよう)近辺の穀物の取り入れを巡察し、それぞれ格差をつけ、高齢者と農事に勤しむ者に褒美を与える。
『三国志』(魏書・斉王紀)

【11月】
呉で飢餓が広がる。孫権は公の倉庫を開いて貧窮者を救済させた。
『三国志』(呉書・呉主伝)

【?月】
この年、蜀の向寵(しょうちょう)が漢嘉郡(かんかぐん)の反乱討伐の際に戦死した。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表

【?月】
この年、周処(しゅうしょ)が生まれた(~299年)。
『正史 三国志8(年表)』(ちくま学芸文庫)

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正史年表 240年代
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今日も三国志日和 – 史実と創作からみる三国志の世界 –

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