259年(魏の甘露4年・蜀の景耀2年・呉の永安2年)の主な出来事

-259年- 己卯(きぼう)
【魏】 甘露(かんろ)4年 ※高貴郷公(曹髦〈そうぼう〉)
【蜀】 景耀(けいよう)2年 ※後主(劉禅〈りゅうぜん〉)
【呉】 永安(えいあん)2年 ※景帝(孫休〈そんきゅう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
魏の寧陵県の井戸の中に、2匹の黄龍が現れる。
『三国志』(魏書・高貴郷公紀)

『漢晋春秋』…このときしきりに龍が現れたことについて、魏の人々はみな吉兆だと考えたが、曹髦は、「龍は君主の徳の象徴であるのに、天に昇って安住することなく、田に舞い降りて安住することなく、たびたび井戸の中に潜伏しているのは、決してめでたい徴(しるし)ではない」と言い、「潜龍の詩」を作った。司馬昭(しばしょう)は、この詩を見て不愉快に思った。

ただ、『正史 三国志1』(今鷹真〈いまたか・まこと〉、井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま学芸文庫)の訳者注によると、「高貴郷公(曹髦)の詩は一首も現存しない」ともいう。

【01月】
呉で雷が鳴る。
『三国志』(呉書・孫休伝)

ここの表現はやや微妙。ただ雷が鳴ったというより、落雷で被害が出たというニュアンスだろうか?

【03月】
呉の孫休が、九卿の官が整ったことから詔を下し、近年来、農耕や養蚕という本来の務めに背き、みな長江に船を浮かべ、商売のために江を上下していることに触れ、「農耕を広く盛んにするため、その賦税を軽くし、良田とそうでないものとを区別して課税することにし、もっぱら寛大で公平であるよう努めたいと思う」との考えを示す。

併せて九卿や尚書らに対し、皆で協議して適切な方策を定めるよう求めた。
『三国志』(呉書・孫休伝)

【06月】
魏の司空の王昶(おうちょう)が死去する。
『三国志』(魏書・高貴郷公紀)

【06月】
蜀の劉禅が、息子の劉諶(りゅうしん)を北地王に、劉恂(りゅうじゅん)を新興王に、劉虔(りゅうけん)を上党王に、それぞれ封ずる。
『三国志』(蜀書・後主伝)

【07月】
魏の陳留王の曹峻(そうしゅん)が薨去(こうきょ)する。
『三国志』(魏書・高貴郷公紀)

【10月】
丙寅(へいいん)の日(10日)
魏の曹髦が新城郡を分割し、再び上庸郡を設置する。
『三国志』(魏書・高貴郷公紀)

【11月】
癸卯(きぼう)の日(18日)
魏の車騎将軍の孫壱(そんいつ)が、女中に殺害される。
『三国志』(魏書・高貴郷公紀)

特記事項

「この年(259年)に亡くなったとされる人物」
王昶(おうちょう)邢氏(けいし)孫壱(そんいつ)B ※魏の曹髦(そうぼう)に降った人物

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