168年(漢の建寧元年)の主な出来事

-168年- 戊申(ぼしん)
【漢】 建寧(けんねい)元年 ※霊帝(れいてい。劉宏〈りゅうこう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
壬午(じんご)の日(3日)
竇太后(とうたいこう)が、城門校尉(じょうもんこうい)の竇武(とうぶ)を大将軍(だいしょうぐん)に任ずる。
『後漢書(ごかんじょ)』(霊帝紀〈れいていぎ〉)

【01月】
己亥(きがい)の日(20日)
河間郡(かかんぐん)から解瀆亭侯(かいとくていこう)の劉宏(りゅうこう)が迎えられ、洛陽(らくよう)の夏門亭(かもんてい)に到着する。竇太后は竇武に節(せつ。使者のしるし)を持たせ、王の青蓋車(せいがいしゃ)をもって、劉宏を殿中に迎え入れるよう命じた。
『後漢書』(霊帝紀)

【01月】「霊帝の即位」
庚子(こうし)の日(21日)
劉宏が帝位に即く。このとき12歳だった。
『後漢書』(霊帝紀)

【01月】「漢(かん)の改元」
霊帝が、「永康」を「建寧」と改元する。
『後漢書』(霊帝紀)

【01月】
霊帝が、前の太尉(たいい)である陳蕃(ちんはん)を太傅(たいふ)に任じたうえ、大将軍の竇武および司徒(しと)の胡広(ここう)とともに参録尚書事(さんろくしょうしょじ)とする。
『後漢書』(霊帝紀)

【01月】
霊帝が詔(みことのり)を下し、護羌校尉(ごきょうこうい)の段熲(だんけい)に先零羌(せんれいきょう)の討伐を命ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【?月】
竇太后が、桓帝(かんてい)の貴人(きじん。皇妃の位のひとつ)であった田聖(でんせい)を殺害する。さらに竇太后は、ほかの8名の貴人も皆殺しにしようとしたが、中常侍(ちゅうじょうじ)の管霸(かんは)と蘇康(そこう)に苦言を呈されたため取りやめた。
『後漢書』(竇皇后紀〈とうこうごうぎ〉)

【02月】
辛酉(しんゆう)の日(13日)
霊帝が、孝桓皇帝(こうかんこうてい)を宣陵(せんりょう)に葬り、廟号(びょうごう)を威宗(いそう)とする。
『後漢書』(霊帝紀)

【02月】
庚午(こうご)の日(22日)
霊帝が高廟(こうびょう。高祖〈こうそ〉劉邦〈りゅうほう〉の廟)に拝謁する。
『後漢書』(霊帝紀)

【02月】
辛未(しんび)の日(23日)
霊帝が世祖廟(せいそびょう。光武帝〈こうぶてい〉の廟)に拝謁する。
『後漢書』(霊帝紀)

【02月】
霊帝が大赦を行い、身分に応じて民爵や帛(きぬ)を下賜する。
『後漢書』(霊帝紀)

【02月】
護羌校尉の段熲が、逢義山(ほうぎさん)で先零羌を討ち破る。
『後漢書』(霊帝紀)

【閏03月】
甲午(こうご)の日(?日)
霊帝が、祖父の劉淑(りゅうしゅく)を追尊して孝元皇帝(こうげんこうてい)とし、夫人の夏氏(かし)を孝元皇后とする。さらに父の劉萇(りゅうちょう)を孝仁皇帝(こうじんこうてい)とし、母の董氏(とうし)を慎園貴人(しんえんきじん)とした。
『後漢書』(霊帝紀)

【04月】
戊辰(ぼしん)の日(?日)
太尉の周景(しゅうけい)が死去する。
『後漢書』(霊帝紀)

【04月】
霊帝が、司空(しくう)の宣酆(せんほう)を罷免し、長楽衛尉(ちょうらくえいい)の王暢(おうちょう)を司空に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【05月】
丁未(ていび)の日(1日)、朔(さく)
日食が起こる。これを受けて霊帝が公卿(こうけい)以下に詔を下し、それぞれ封事を奉るよう命じたうえ、郡国の太守(たいしゅ)や国相(こくしょう)には、有道の士をそれぞれひとりずつ推挙させた。

さらに、もとの刺史(しし)や二千石(にせんせき。太守)のうち、清廉で志が高く、その任地に恩恵をもたらし、人心を集めた者を、みな公車を差し向けて召し寄せた。
『後漢書』(霊帝紀)

【05月】
霊帝が、太中大夫(たいちゅうたいふ)の劉矩(りゅうく)を太尉に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【06月】
洛陽で大雨が降る。
『後漢書』(霊帝紀)

【07月】
破羌将軍(はきょうしょうぐん)の段熲が、涇陽県(けいようけん)で再び先零羌を討ち破る。
『後漢書』(霊帝紀)

【08月】
霊帝が、司空の王暢を罷免し、宗正(そうせい)の劉寵(りゅうちょう)を司空に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【09月】「陳蕃・竇武の死」
辛亥(しんがい)の日(7日)
中常侍の曹節(そうせつ)が詔を偽り、太傅の陳蕃と大将軍の竇武および尚書令(しょうしょれい)の尹勲(いんくん)、侍中(じちゅう)の劉瑜(りゅうゆ)、屯騎校尉(とんきこうい)の馮述(ふうじゅつ)らを殺害したうえ、その一族も皆殺しにする。
『後漢書』(霊帝紀)

⇒?月
このとき竇太后の父である大将軍の竇武は、宦官(かんがん)を誅殺しようとしていた。中常侍の曹節たちは偽の詔によって竇武らを殺害し、竇太后を南宮の雲台(うんだい)に遷(うつ)し、竇一族を比景県(ひけいけん)に流刑とした。
『後漢書』(竇皇后紀)

⇒09月
霊帝が、竇太后を南宮に遷す。
『後漢書』(霊帝紀)

【09月】
霊帝が、司徒の胡広を太傅・録尚書事に、司空の劉寵を司徒に、大鴻臚(だいこうろ)の許栩(きょく)を司空に、それぞれ任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【10月】
甲辰(こうしん)の日(30日)、晦(かい)
日食が起こる。これを受けて霊帝が、囚人のうちでまだ刑罰を受けていない者について、帛を納めることで罪を購わせる。納めさせる帛の量は、囚人の容疑の軽重によって差をつけた。
『後漢書』(霊帝紀)

【11月】
霊帝が、太尉の劉矩を罷免し、太僕(たいぼく)の聞人襲(ぶんじんしゅう)を太尉に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【12月】
鮮卑(せんぴ)と濊貊(わいばく)が、幽州(ゆうしゅう)・幷州(へいしゅう)の両州に侵攻する。
『後漢書』(霊帝紀)

特記事項

「この年(168年)に生まれたとされる人物」
顧雍(こよう)曹仁(そうじん)李通(りとう)A ※あざなは文達(ぶんたつ)

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