-281年- 辛丑(しんちゅう)
【晋】 太康(たいこう)2年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉)
月別および季節別の主な出来事
【02月】
淮南と丹楊で地震が起こる。
『晋書』(武帝紀)
【03月】
丙申(へいしん)の日(15日)
安平王の司馬敦(しばとん)が薨去(こうきょ)する。
『晋書』(武帝紀)
【03月】
丙申の日(15日)
司馬炎が、王公以下にそれぞれ差をつけ旧呉の奴隷を下賜する。
『晋書』(武帝紀)
【03月】「司馬炎の宮女選び」
丙申の日(15日)
司馬炎が詔を下し、旧呉の孫晧(そんこう)の妓妾(ぎしょう)5千人を選んで後宮に入れる。
『晋書』(武帝紀)
【03月】
丙申の日(15日)
東夷の5か国が来朝し、献上品を捧げる。
『晋書』(武帝紀)
【06月】
東夷の5か国が内附(服従)する。
『晋書』(武帝紀)
【06月】
16の郡国で雹(ひょう)が降り、暴風により樹木が抜け、民家が壊れる。
『晋書』(武帝紀)
【06月】
江夏と泰山で洪水が発生し、300戸余りの住民が流される。
『晋書』(武帝紀)
【07月】
上党がまた暴風や雹に見舞われ、作物に被害が出る。
『晋書』(武帝紀)
【08月】
彗星が張宿(二十八宿のひとつ)に現れる。
『晋書』(武帝紀)
【10月】
鮮卑の慕容廆(ぼようかい)が昌黎(しょうれい)を侵略する。
『晋書』(武帝紀)
⇒?月
この年、鮮卑の慕容歩帰(ぼようほき)が昌黎に侵入した。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表
【11月】「陳騫(ちんけん)の死」
壬寅(じんいん)の日(25日)
大司馬の陳騫が薨去する。
『晋書』(武帝紀)
【11月】
壬寅の日(25日)
彗星が軒轅(けんえん。獅子座のアルファ星)に現れる。
『晋書』(武帝紀)
【11月】
壬寅の日(25日)
鮮卑が遼西を侵略したが、平州刺史の鮮于嬰(せんうえい)が討伐にあたり撃ち破る。
『晋書』(武帝紀)
【?月】
この年、揚州刺史の周浚(しゅうしゅん)が、寿春から秣陵に役所を移し、呉の旧民たちの反乱を鎮めて懐柔にあたった。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表
【?月】
この年、郭欽(かくきん)が『徙戎論(しじゅうろん)』を著し、「彼ら(氐・羌・鮮卑・匈奴などの塞外民族)を故地に戻すように」と主張したものの、司馬炎に容れられなかった。
『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』の『三国志』年表
特記事項
「この年(281年)に亡くなったとされる人物」
司馬敦(しばとん)・陳騫(ちんけん)
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