171年(漢の建寧4年)の主な出来事

-171年- 辛亥(しんがい)
【漢】 建寧(けんねい)4年 ※霊帝(劉宏〈りゅうこう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
甲子(こうし)の日(3日)
霊帝が元服を迎え、大赦を行う。ただし党人は許さず。また、公卿以下に差をつけて下賜を行った。
『後漢書』(霊帝紀)

【02月】
癸卯(きぼう)の日(13日)
地震が起こり海水があふれる。その一方、黄河の水が澄む。
『後漢書』(霊帝紀)

ここでは地震の具体的な場所についての記述はなかった。

【03月】
辛酉(しんゆう)の日(1日)、朔(さく)
日食が起こる。
『後漢書』(霊帝紀)

【03月】
霊帝が、太尉の聞人襲(ぶんじんしゅう)を罷免し、太僕の李咸(りかん)を太尉に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【03月】
霊帝が、公卿以下600石(せき)までの官吏に詔を下し、それぞれに封事を奉らせる。
『後漢書』(霊帝紀)

【03月】
疫病が流行する。霊帝は中謁者を巡行させ、医薬品を賜与するよう命じた。
『後漢書』(霊帝紀)

ここでは具体的な場所についての記述はなかった。

【03月】
霊帝が、司徒の許訓(きょくん)を罷免し、司空の橋玄(きょうげん)を司徒に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【04月】
霊帝が、太常の来豔(らいえん)を司空に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【05月】
河東郡で地割れが起こる。雹(ひょう)が降り、鉄砲水も発生した。
『後漢書』(霊帝紀)

【07月】
霊帝が、司空の来豔を罷免する。
『後漢書』(霊帝紀)

【08月】
癸丑(きちゅう)の日(25日)
霊帝が、貴人(皇妃の位のひとつ)の宋氏を皇后に立てる。
『後漢書』(霊帝紀)

⇒08月
宋氏の父である執金吾の宋酆(そうほう)は、不其郷侯(ふききょうこう)に封ぜられた。
『後漢書』(宋皇后紀)

【08月】
霊帝が、司徒の橋玄を罷免し、前の司空の許栩(きょく)を司徒に任ずる。また、太常の宗倶(そうく)を司空に任じた。
『後漢書』(霊帝紀)

【10月】
戊子(ぼし)の日(1日)、朔
霊帝が群臣をひきいて南宮を訪れ、竇太后(とうたいこう)に自ら贈り物をし、長寿を言祝(ことほ)ぐ。

黄門令の董萌(とうぼう)はこれを機に、しばしば竇太后のため、恨み言を訴えるようになった。霊帝は深くその言を容れ、竇太后に支給する歳費を増やした。
『後漢書』(竇皇后紀)

ここは干支(かんし)を補っておく。

【冬】
鮮卑が幷州に侵攻する。
『後漢書』(霊帝紀)

特記事項

「この年(171年)に生まれたとされる人物」
司馬朗(しばろう)趙儼(ちょうげん)

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