170年(漢の建寧3年)の主な出来事

-170年- 庚戌(こうじゅつ)
【漢】 建寧(けんねい)3年 ※霊帝(れいてい。劉宏〈りゅうこう〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
河内郡(かだいぐん)では妻が夫を喰らい、河南郡(かなんぐん)では夫が妻を喰らうという事件が起こる。
『後漢書(ごかんじょ)』(霊帝紀〈れいていぎ〉)

【03月】
丙寅(へいいん)の日(30日)、晦(かい)
日食が起こる。
『後漢書』(霊帝紀)

【04月】
霊帝が太尉(たいい)の郭禧(かくき)を罷免し、太中大夫(たいちゅうたいふ)の聞人襲(ぶんじんしゅう)を太尉に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【07月】
霊帝が司空(しくう)の劉囂(りゅうごう)を罷免する。
『後漢書』(霊帝紀)

【08月】
霊帝が大鴻臚(だいこうろ)の橋玄(きょうげん)を司空に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)

【09月】
執金吾(しつきんご)の董寵(とうちょう)が投獄され獄死する。
『後漢書』(霊帝紀)

『全譯後漢書 第2冊』(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉、岡本秀夫〈おかもと・ひでお〉、池田雅典〈いけだ・まさのり〉編 汲古書院)の補注によると「董寵は董太后(とうたいこう)の兄。董太后の恩寵により執金吾に任ぜられていたが、董太后の名を騙(かた)って請託を行った罪により投獄され獄死した」という。なおこの件については昨年(169年)の『後漢書』の記事にも見えた。

【冬】
鬱林郡(うつりんぐん)の烏滸(うこ)の民が連れ立って漢(かん)に内属する。
『後漢書』(霊帝紀)

李賢注(りけんちゅう)によると「烏滸は南方の夷狄(いてき)の呼び名である。『広州記(こうしゅうき)』に『その風俗は人を喰らい、鼻から水を飲んで口の中に進ませ、うがいをするようにそのまま飲み込む』とある」という。

⇒冬
鬱林太守(うつりんたいしゅ)の谷永(こくえい)が烏滸民ら10余万人を帰順させる。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

【?月】
この年、宋酆(そうほう)の娘の宋氏(そうし)が選ばれて掖庭(えきてい)に入り、霊帝の貴人(きじん)となった。
『後漢書』(宋皇后紀〈そうこうごうき〉)

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170年代 正史年表
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