-161年- 辛丑(しんちゅう)
【漢】 延熹(えんき)4年 ※桓帝(かんてい。劉志〈りゅうし〉)
月別および季節別の主な出来事
【01月】
辛酉(しんゆう)の日(2日)
洛陽(らくよう)の南宮にある嘉徳殿(かとくでん)で火災が起こる。
『後漢書(ごかんじょ)』(桓帝紀〈かんていぎ〉)
【01月】
戊子(ぼし)の日(29日)
洛陽の南宮にある丙署(へいしょ)でも火災が起こる。
『後漢書』(桓帝紀)
【01月】
疫病が流行する。
『後漢書』(桓帝紀)
★ここでは具体的な場所についての記述はなかった。
【02月】
壬辰(じんしん)の日(3日)
洛陽の武器庫で火災が起こる。
『後漢書』(桓帝紀)
【02月】
桓帝が、司徒(しと)の盛允(せいいん)を罷免し、大司農(だいしのう)の种暠(ちゅうこう)を司徒に任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)
【03月】
桓帝が、冗従右僕射(じょうじゅうゆうぼくや)の官を廃止する。
『後漢書』(桓帝紀)
【03月】
桓帝が、太尉(たいい)の黄瓊(こうけい)を罷免する。
『後漢書』(桓帝紀)
【04月】
桓帝が、太常(たいじょう)の劉矩(りゅうく)を太尉に任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)
【04月】
甲寅(こういん)の日(26日)
桓帝が、河間王(かかんおう)の劉開(りゅうかい)の息子である劉博(りゅうはく)を、任城王(じんじょうおう)に封ずる。
『後漢書』(桓帝紀)
【05月】
辛酉の日(4日)
彗星(すいせい)が現れ、心宿(しんしゅく。さそり座の中央部)にかかる。
『後漢書』(桓帝紀)
【05月】
丁卯(ていぼう)の日(10日)
原陵(げんりょう。光武帝〈こうぶてい〉の陵)の長寿門(ちょうじゅもん)で火災が起こる。
『後漢書』(桓帝紀)
【05月】
己卯(きぼう)の日(22日)
洛陽で雹(ひょう)が降る。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
京兆(けいちょう)・扶風(ふふう)および涼州(りょうしゅう)で地震が起こる。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
庚子(こうし)の日(13日)
泰山(たいざん)および博県(はくけん)の尤来山(ゆうらいざん)がともに崩れ、山肌が裂ける。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
己酉(きゆう)の日(22日)
桓帝が大赦を行う。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
桓帝が、司空(しくう)の虞放(ぐほう)を罷免し、前の太尉である黄瓊を司空に任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
犍為属国(けんいぞっこく)の異民族が民から略奪を働く。益州刺史(えきしゅうしし)の山昱(さんいく)がこれを討ち破る。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
零吾羌(れいごきょう)が先零羌(せんれいきょう)らの諸種とともに反乱を起こし、三輔(さんぽ。長安〈ちょうあん〉を中心とする地域)を侵犯する。
『後漢書』(桓帝紀)
【07月】
桓帝が、洛陽で雩祭(うさい。雨乞いの儀式)を執り行う。
『後漢書』(桓帝紀)
【07月】
桓帝が、公卿(こうけい)以下百官の俸禄を減らしたうえ、王侯から租税の半分を借り上げる。
『後漢書』(桓帝紀)
【07月】「桓帝の売官」
桓帝が、関内侯(かんだいこう)・虎賁(こほん)・羽林(うりん)・緹騎(ていき)・営士(えいし)・五大夫(ごたいふ)の官爵を売り出す。売り出し価格は官爵によって差があった。
『後漢書』(桓帝紀)
【09月】
桓帝が、司空の黄瓊を罷免し、大鴻臚(だいこうろ)の劉寵(りゅうちょう)を司空に任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)
【10月】
天竺国(てんじくこく)の使者が漢(かん)に来朝し、貢ぎ物を献ずる。
『後漢書』(桓帝紀)
【10月】
南陽県(なんようけん)の黄武(こうぶ)が、襄城県(じょうじょうけん)の恵得(けいとく)や昆陽県(こんようけん)の楽季(がくき)とともに妖言を広め、互いに役割を定めたものの、みな誅殺される。
『後漢書』(桓帝紀)
【10月】
先零羌と沈氐羌(しんていきょう)が羌の諸種とともに、幷州(へいしゅう)および涼州に侵攻する。
『後漢書』(桓帝紀)
⇒?月
羌族が幷州と涼州に侵攻する。涼州刺史(りょうしゅうしし)の郭閎(かくこう)は責任逃れのため、段熲(だんけい)を投獄する。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表
【11月】
中郎将(ちゅうろうしょう)の皇甫規(こうほき)が、幷州・涼州の両州に侵攻した諸羌を討ち破る。
『後漢書』(桓帝紀)
⇒11月
泰山太守(たいざんたいしゅ)の皇甫規が願い出て、羌族の討伐にあたる。
『正史 三国志8』の年表
【12月】
夫余王(ふよおう)の使者が漢に来朝し、貢ぎ物を献ずる。
『後漢書』(桓帝紀)
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