157年(漢の永寿3年)の主な出来事

-157年- 丁酉(ていゆう)
【漢】 永寿(えいじゅ)3年 ※桓帝(かんてい。劉志〈りゅうし〉)

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月別および季節別の主な出来事

【01月】
己未(きび)の日(?日)
桓帝が大赦を行う。
『後漢書(ごかんじょ)』(桓帝紀〈かんていぎ〉)

己未の日は1月にないと思う。乙未(いつび)の日なら13日になるが……。

【04月】
九真郡(きゅうしんぐん)の蛮夷(ばんい)が反乱を起こす。九真太守(きゅうしんたいしゅ)の児式(げいしょく)が討伐にあたったものの戦死。九真都尉(きゅうしんとい)の魏朗(ぎろう)が代わってこれを撃破したが、蛮夷は日南郡(にちなんぐん)に再集結し、そこを拠点とした。
『後漢書』(桓帝紀)

『全譯後漢書 第2冊』(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉、岡本秀夫〈おかもと・ひでお〉、池田雅典〈いけだ・まさのり〉編 汲古書院)の補注によると、『後漢書』(南蛮伝〈なんばんでん〉)からの補足として「九真郡居風県(きょふうけん)の県令(けんれい)が暴虐だったため、県人の朱達(しゅたつ)が蛮夷4、5千人を結集してこれを殺害し、さらに太守府を襲撃したもの」だという。

【閏05月】
庚辰(こうしん)の日(30日)、晦(かい)
日食が起こる。
『後漢書』(桓帝紀)

【06月】
桓帝が初めて小黄門(しょうこうもん)を守宮令(しゅきゅうれい)に起用し、冗従右僕射(じょうじゅうゆうぼくや)の官を設置する。
『後漢書』(桓帝紀)

【06月】
洛陽(らくよう)で蝗(イナゴ)による害が発生する。
『後漢書』(桓帝紀)

【07月】
河東郡(かとうぐん)で地割れが起こる。
『後漢書』(桓帝紀)

【11月】
司徒(しと)の尹頌(いんしょう)が死去する。
『後漢書』(桓帝紀)

【11月】
長沙国(ちょうさこく)の蛮夷が反乱を起こし、益陽県(えきようけん)に侵攻する。
『後漢書』(桓帝紀)

【11月】
桓帝が司空(しくう)の韓縯(かんえん)を司徒に、太常(たいじょう)の孫朗(そんろう)を司空に、それぞれ任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)

【?月】「孫堅(そんけん)の誕生」
この年、孫堅が生まれた(~191年)。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表

『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表では永寿元(155)年の生まれだとあった。

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150年代 正史年表
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