-155年- 乙未(いつび)
【漢】 永寿(えいじゅ)元年 ※桓帝(劉志〈りゅうし〉)
月別および季節別の主な出来事
【01月】「漢の改元」
戊申(ぼしん)の日(14日)
桓帝が大赦を行い、「永興(えいこう)」を「永寿」と改元する。
『後漢書』(桓帝紀)
★特に撰者を記さずに『後漢書』と表記している場合は、范曄(はんよう)の『後漢書』が出典です。
★このサイトで参考にした書籍については「三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)」をご覧ください。
【02月】
司隷と冀州で飢饉(ききん)があり、人々が互いに食らい合う。桓帝は刺史と太守に詔を下し、貧窮者への賜与を命じた。
このとき、王侯や吏民で穀物を蓄えている者がいれば、その10分の3を借り上げて貧民への穀物給付の補助とさせ、百姓吏民には現金で代価を支払い、王侯には新たな租税の納入後に償還することとした。
『後漢書』(桓帝紀)
【02月】
太学生の劉陶(りゅうとう)が上疏し、「奸臣(かんしん)を除き、朱穆(しゅぼく)・李膺(りよう)らを用いられますように」との意見を述べたが、桓帝は聞き入れなかった。
『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表
【04月】
斉国に白鳥が現れる。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
洛水が氾濫し、鴻徳苑(こうとくえん)を水浸しにする。また、南陽郡でも洪水があった。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
桓帝が、司空の房植(ぼうしょく)を罷免し、太常の韓演(かんえん)を司空に任ずる。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
桓帝が詔を下し、「泰山郡と琅邪郡(ろうやぐん)で賊害に遭った者からは、田租と徭役(ようえき)を取らず、更(こう)と筭賦(さんぷ)を3年間免除する」とした。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
桓帝が詔を下し、「洪水に遭って遺体が水没した者について、郡県は捜索して埋葬するように」とした。さらに「物がぶつかって圧死したり、溺死した者については、7歳以上の者ひとりにつき2千銭を賜与せよ」ともした。また、家屋が破壊されて食べる物がない貧者には、ひとりにつき2斛を施した。
『後漢書』(桓帝紀)
【06月】
巴郡と益州郡で山崩れが起こる。
『後漢書』(桓帝紀)
【07月】
桓帝が、泰山都尉と琅邪都尉(ろうやとい)の官を設置する。
『後漢書』(桓帝紀)
【07月】
南匈奴の左薁鞬(さいくけん)の台耆(だいき)と且渠(しょきょ)の伯徳(はくとく)らが反乱を起こし、美稷(びしょく)に侵攻する。安定属国都尉の張奐(ちょうかん)がこれを撃退した。
『後漢書』(桓帝紀)
特記事項
「この年(155年)に生まれたとされる人物」
曹操(そうそう)
コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます