-176年- 丙辰(へいしん)
【漢】 熹平(きへい)5年 ※霊帝(劉宏〈りゅうこう〉)
月別および季節別の主な出来事
【04月】
癸亥(きがい)の日(?日)
霊帝が大赦を行う。
『後漢書』(霊帝紀)
【04月】
益州郡の異民族が反乱を起こしたものの、益州太守の李顒(りぎょう)が討伐にあたり、これを平定する。
『後漢書』(霊帝紀)
【04月】
霊帝が、崇高山(すうこうざん)を嵩高山(すうこうざん)と改名する。
『後漢書』(霊帝紀)
★李賢注(りけんちゅう)によると「『漢書』(武帝紀)に、武帝が中嶽(ちゅうがく)を祭り、嵩高山を改めて崇高山としたとある」という。「また『東観漢記』に、(霊帝が)中郎将の堂谿典(どうけいてん)に雨乞いを行わせ、これにより(堂谿典が霊帝に)上言して改名し、名づけて嵩高山としたとある」という。
【04月】
霊帝が、大規模な雩祭(うさい。雨乞いの儀式)を執り行う。
『後漢書』(霊帝紀)
【04月】
霊帝が、侍御史に詔獄と亭部を巡行させ、冤罪の者がいないか調査を命じたうえ、軽罪の者は保釈する。
『後漢書』(霊帝紀)
【05月】
霊帝が、太尉の陳耽(ちんたん)を罷免し、司空の許訓(きょくん)を太尉に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)
【閏05月】
永昌太守の曹鸞(そうらん)が、党人を弁護する訴えをした罪により公開処刑となる。
霊帝は詔を下し、「党人の門生・故吏・父兄子弟のうちで官位にある者は、みな免官して禁錮(きんこ)とせよ」とした。
『後漢書』(霊帝紀)
【06月】
壬戌(じんじゅつ)の日(3日)
霊帝が、太常の劉逸(りゅういつ)を司空に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)
【07月】
霊帝が、太尉の許訓を罷免し、光禄勲の劉寛(りゅうかん)を太尉に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)
【10月】
壬午(じんご)の日(24日)
御殿の後庭の槐樹(かいじゅ。エンジュの木)が自然に抜けて倒れる。
『後漢書』(霊帝紀)
【10月】
霊帝が、司徒の袁隗(えんかい)を罷免する。
『後漢書』(霊帝紀)
【11月】
丙戌(へいじゅつ)の日(10月28日?)
霊帝が、光禄大夫の楊賜(ようし)を司徒に任ずる。
『後漢書』(霊帝紀)
【12月】
甘陵王の劉定(りゅうてい)が薨去(こうきょ)する。
『後漢書』(霊帝紀)
【12月】
霊帝が、太学生のうち60歳以上の者100余人を試験するよう命ずる。
試験の結果に応じ、成績上位の者は郎中や太子舎人に、成績下位の者は諸王家の郎官や郡国の文学吏に、それぞれ任ぜられた。
『後漢書』(霊帝紀)
【?月】
この年、譙(しょう)に黄龍が現れた。
『三国志』(魏書・文帝紀)
⇒?月
この年、霊帝のもとに、「沛国譙県で黄龍が現れた」との報告が届いた。
『後漢書』(霊帝紀)
【?月】
この年、鮮卑が幽州に侵攻した。
『後漢書』(霊帝紀)
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