呉(ご)の孫策(そんさく)の諡号(しごう)について

こちらの謎は呉の孫策の諡号に関するものです。

このカテゴリーでは「三国志の世界」と付き合うなかで、管理人(かぶらがわ)が個人的に疑問を感じたテーマを取り上げます。

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概要

呉の孫権(そんけん)の兄である孫策は、建安(けんあん)5(200)年に26歳の若さで亡くなりました。

孫策の跡を継いだのは息子の孫紹(そんしょう)ではなく弟の孫権だったわけですが、その孫権が黄龍(こうりょう)元(229)年に呉の帝位に即きます。

このとき孫権は、亡き父の孫堅(そんけん)を追尊して武烈皇帝(ぶれつこうてい)の諡号(しごう)を贈り、同じく亡き母の呉氏(ごし)には武烈皇后(ぶれつこうごう)の諡号を贈りました。

さらに兄の孫策にも諡号を贈りましたが、それは帝号ではなく長沙桓王(ちょうさのかんおう)という王号でした。

ここで孫権が兄に帝号ではなく、王号を贈ったことが謎です。

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管理人「かぶらがわ」より

父母と兄の諡号に差を付けただけだと考えれば、それほど不思議なことではないのかもしれませんけど……。

弟の自分は帝位に即いた(いずれは○帝という諡号を贈られることになる)わけですから、やはり兄にも○帝という諡号を贈ってもよかったのではないでしょうか? この背景に何かあったのか知りたいと思っています。

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