孫韶(そんしょう)の姓について

こちらの謎は孫韶(そんしょう)の姓に関するものです。

このカテゴリーでは「三国志の世界」と付き合う中で、管理人(かぶらがわ)が個人的に疑問を感じたテーマを取り上げます。

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概要

『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫韶伝〈そんしょうでん〉)の冒頭に以下のような記述があります。

「孫韶字公礼(こうれい)。伯父河(孫河〈そんか〉)、字伯海(はくかい)、本姓兪氏(ゆし)、亦呉人(ごひと)也。孫策(そんさく)愛之、賜姓為孫、列之属籍」
『三国志』(呉書・孫韶伝)

孫韶の伯父の孫河はもともと兪河(ゆか)といい、孫策に信愛されて孫姓を賜り、その一族に加えられたという。孫韶の父母については記事がないのですけど、本伝の記述を見れば孫韶も兪韶(ゆしょう)だったのでしょう。

伯父の兪河が孫策に気に入られて孫河になったのはわかりましたが、これに伴い兪氏一族もみな孫姓になったのだろうか、という点が謎です。

管理人「かぶらがわ」より

兪氏にも数多くのご先祖がいたはずですから、あざなの伯海を見ると長男っぽい孫河が兪姓から孫姓になってしまうと、兪家の名が絶えるようなことにならなかったのか?

孫河の甥にあたる孫韶まで兪姓から孫姓に変わっていたのが、何となく不思議に感じられたのですけど……。いま一度考えてみれば、これは大変な栄誉なので、兪氏一同みな孫氏になって万々歳、ということでいいのかもしれませんね。

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