正史『三国志』における劉岱(りゅうたい)の扱いについて

こちらの謎は正史『三国志』における劉岱の扱いに関するものです。

このカテゴリーでは「三国志の世界」と付き合うなかで、管理人(かぶらがわ)が個人的に疑問を感じたテーマを取り上げます。

ご意見や情報がございましたら、記事の最下部にあるコメント欄またはお問い合わせフォームよりお願いします。

スポンサーリンク

概要

劉岱は前漢(ぜんかん)の斉孝王(せいのこうおう。高祖〈こうそ〉の孫の劉将閭〈りゅうしょうりょ〉。父は斉悼恵王〈せいのとうけいおう〉こと劉肥〈りゅうひ〉)の末裔(まつえい)で、劉繇(りゅうよう)の兄でもあります。

弟の劉繇は『三国志』(呉書〈ごしょ〉)に伝が立てられていますが、兄の劉岱のほうは伝が立てられていません。その理由が謎です。

スポンサーリンク

管理人「かぶらがわ」より

劉岱は『三国志』に伝が立てられていないだけでなく、困ったことに同姓同名かつあざなまで同じのもうひとりの劉岱(沛国〈はいこく〉の人)が存在したため、吉川『三国志』や『三国志演義』では一部で混同されてしまっています。

陳寿(ちんじゅ)もふたりの劉岱の資料がごちゃごちゃになって面倒くさくなったのかもしれませんが、彼の伝を立てなかった要因を探ってみたいです。

コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます

タイトルとURLをコピーしました