吉川版『三国志』の考察 第303話 「ネジ(ねじ)」

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渭水(いすい)の司馬懿(しばい)は、蜀軍(しょくぐん)が「木牛(もくぎゅう)」と「流馬(りゅうば)」という新たな輸送車を使い始めた話を聞き、張虎(ちょうこ)と楽綝(がくりん)に命じ4、5輛(りょう)奪ってこさせる。

それを解体して図面に写し取らせ、同じものを数千輛も製作。ほどなく魏軍(ぎぐん)は木牛と流馬を用いて兵糧を運びだすも、王平(おうへい)に奇襲されすべて持ち去られてしまう。郭淮(かくわい)は北原(ほくげん)から出撃し取り返そうとするが……。

第303話の展開とポイント

(01)渭水(いすい) 司馬懿(しばい)の本営

司馬懿は張虎(ちょうこ)と楽綝(がくりん)を呼び、近ごろ蜀軍(しょくぐん)が盛んに輸送に用いているという、「木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)」なるものを見たかと尋ねる。

「木牛」と「流馬」については前の第302話(08)を参照。

ふたりがまだ見ていないと答えると、さらに司馬懿は、貴公らが協力して斜谷(やこく)の道に兵を伏せ、敵の輸送隊を急襲し、その器械を4、5輛(りょう)捕獲してくるよう命じた。

剣閣(けんかく)から祁山(きざん)への輸送になぜ斜谷が関係するのかよくわからない。このあたりにも『演義』を踏襲した地理的な誤解が見られる。なお「剣閣」については先の第294話(04)を参照。

(02)斜谷

張虎と楽綝は、すぐに軽騎隊一軍と歩兵1千を連れて斜谷へ赴く。そして3日ほど経つと、目的の輸送機を奪い帰ってくる。

井波版『三国志演義』(第102回)では、このとき張虎と楽綝がひきいたのは、蜀兵に変装させた500の軍勢。

(03)渭水 司馬懿の本営

司馬懿はそれを解体し、ことごとく図面に写し取らせると、陣中の工匠(たくみ)を呼んで模造させた。尺寸(せきすん。わずかな様子や)長短、機動性能、少しも違わないものが作られた。

これを基本に数千人の工匠を集め、夜を日に継いで増産させたので、たちまち魏(ぎ)にも数千輛の木牛流馬が備わる。

(04)祁山 諸葛亮(しょかつりょう)の本営

これを聞いた諸葛亮は、むしろ喜んで言った。

「それはわが思うつぼである。近日のうちに、魏から大量の兵糧が贈り物にされてこよう」

7日ほど後、蜀の斥候が一報をもたらす。1千余輛に上る敵の木牛流馬が隴西(ろうせい)から莫大(ばくだい)な兵糧を積んでくる、というものだった。

諸葛亮は王平(おうへい)を呼び、このように命ずる。

「汝(なんじ)の持つ1千騎の兵をことごとく魏勢に変装させ、ただちに北原(ほくげん)を通り隴西の道筋へ向かえ」

「今から行けば、北原へかかるのはちょうど夜中になろう。さしずめ北原を守る魏将が、何者の手勢ぞと誰何(すいか)するに違いない。その時は、魏の兵糧方の者だと答えれば難なく通過できよう」

「そして、魏の木牛流馬隊を待ち伏せこれをせん滅し、ただ1千余輛の器械のみを引き再び北原へ引き返せ。北原には魏の郭淮(かくわい)の城もあることゆえ、今度は見逃さず邀撃(ようげき)してくるに違いない」

せっかく鹵獲(ろかく)した木牛流馬が、この場合は味方の足手まといにならないかと考え、王平は眉(まゆ)をひそめる。

すると、諸葛亮はこう言い含めた。

「その時は木牛流馬の口を開き、舌に仕掛けてあるネジを回転させ、みなそこへ捨て去ればよい。敵はそれを取り返したことによって長追いもしてこまい。以後の作戦は、なお別の者に命じておくから」

そう聞くと、王平は十分な確信を得たもののように出ていく。続いて諸葛亮は張嶷(ちょうぎ)を呼び、ある奇策を授ける。

「汝は500の兵をもって六丁六甲(りくていりくこう)の鬼神軍に仕立てよ。兵にはみな鬼頭をかぶらせ、面を塗って怪しく彩らせよ」

「六丁六甲」については前の第302話(04)を参照。

「そして、おのおの黒衣に素足、手に牙剣(がけん)を引っ提げて旗を捧げ、腰には葫蘆(ころ。瓢タン〈ヒョウタン。竹+單〉)を掛けて硫黄や焰硝(えんしょう。火薬)を詰め込み、山陰に隠れておれ」

「郭淮の部下がわが王平軍を追い散らし、木牛流馬を引いて帰らんとする刹那(せつな)に襲え。必定、敵は狼狽(ろうばい)驚愕(きょうがく)、すべてを捨てて逃げ去るに決まっている。その後、木牛流馬の口腔(こうこう)のネジを左に回し、わが祁山へ指して引いてこい」

さらに魏延(ぎえん)と姜維(きょうい)が呼ばれ、何事かまた別の計を受けて去る。

井波版『三国志演義』(第102回)では、ここで廖化(りょうか)と張翼が、5千の軍勢をひきいて司馬懿の行く手を遮断するよう命ぜられていた。

最後に馬岱(ばたい)と馬忠(ばちゅう)も一方の命令を受け、これは渭水の南のほうへ駆け向かった。

(05)北原の郊外

すでにその日も暮れ、北原の彼方の重畳たる山々は、星の下に黒々と更けていく。魏の鎮遠将軍(ちんえんしょうぐん)の岑威(しんい)はこの夜、延々たる輜重隊(しちょうたい)をひきいていた。

隴西のほうから谷を巡り山を駆け、真夜中には北原の城外まで行き着かんものと急いでいる。すると途中でいぶかしい一軍に出会う。蜀の牙門将軍(がもんしょうぐん)の王平隊なのである。けれど、この兵はみな魏勢に変装していたので、夜目ではちょっと判断がつかなかった。

岑威の兵は怪しみ、まず大声で尋ねる。

「そこへ来た部隊は、どこの何者の手勢か?」

王平の偽装隊は、なおのろく近づいてきながら、ようやくすぐそばへ来ると口々に言った。

「輸送方の者ですよ」

岑威の兵が言う。

「輸送方とはすなわちわれわれのことだ。汝らはどこの輸送方だ?」

王平の兵が答えた。

「決まっている。蜀の諸葛丞相(しょかつじょうしょう)の命を受けて運搬に来た者だ!」

岑威の兵は仰天して立ち直ったが、そのとき魚の泳ぐように、王平が馬を速め部隊の真ん中に跳び込んでいった。

「おれは蜀の王平だ。岑威の首と木牛流馬は残らずもらい受けたからそう思え」

こう言ってひときわ目立つ魏の大将に斬りかかる。誤りなく敵将の岑威だった。岑威は狼狽し全隊へ何か号令を下していたが、王平と聞きさらに肝をつぶし、得物を振るって抗戦。しかしたちまち王平の一撃に遭い、馬上から斬って落とされた。

不意であり闇夜でもある。ことに戦闘力に弱点のある輜重隊なので、指揮官たる岑威が討たれると四分五裂して逃げ散った。すぐに王平は1千余輛の木牛流馬を分捕り、道を急いで以前の北原へと引き返していく。

(06)北原

北原は魏の一基地である。ここの塁壕(るいごう)を守る郭淮は、岑威の手下が敗走してきたことで急変を知り、兵をそろえ蜀勢の帰る道を扼(やく)していた。

王平はそこまで来ると、「ネジを回して逃げろ」と予定の退却を命ずる。蜀兵は一斉に木牛流馬の口中にある螺旋(らせん)仕掛けのネジを右へ転じて逃げ去った。

郭淮は兵糧の満載してある1千余輛のそれを奪回し、まずよしと城塁へ引かせ帰ろうとする。しかし、もとより木牛流馬の構造や操作法を知らない。

舌根のネジ仕掛けに気がつかず、ただ押したり引っ張ったりしていたので、いくらどう試みても一歩も動きださないのだった。

郭淮が怪しみ疑っていると、たちまち一方の山陰から殷々(いんいん)たる鼓角が鳴り響き、怪しげな扮装(ふんそう)をした鬼神軍が飛ぶように駆けてくる。それを見るや、魏勢は震い恐れてみな逃げ崩れた。

鬼形の一軍は蜀の魏延や姜維などで、再び兵糧満載の木牛流馬をことごとく手に収め、凱歌を上げ祁山へ引いて帰る。

(07)救援に赴く司馬懿

一方、渭水の司馬懿は、この急変を早打ちで知ると、軍勢を催して自ら救援に赴く。ところがその途中には、蜀の廖化や張翼などが手ぐすね引いていた。そのため司馬懿の軍勢は手痛く不意を突かれ、前後の旗本も散々に討ち滅ぼされてしまう。

ついに司馬懿もただ一騎となり、闇夜を鞭(むち)打ち方角も見定めず、無我夢中で逃げ奔っていた。

(08)敗走中の司馬懿

この姿を廖化が見つけ、もみにもんで追撃。司馬懿は振り向き、迫りくる敵影と真っ先の廖化を見て、「わが運の尽きは今か」と身の毛をよだたせた。

すでに廖化の剣は後ろに迫っている。司馬懿は目の前にある喬木(きょうぼく)の根を巡って逃げた。それは十抱えもある大木だった。廖化も大木を巡って追い回す。

司馬懿の運が強かったものか、廖化が馬上から振り下ろした一刀は肩を外れ、喬木の幹へ斬り込んでしまう。廖化がおめきながら抜き戻そうと焦るうちに、司馬懿は乗っている馬に一撃を加え、遠く闇の内へ逃げ去った。

ようやく廖化が刀を抜き外すと、なおあきらめきれず、馬を乗りつぶすまで司馬懿の行方を追いかける。けれど、その姿を見ることはできなかった。

ただ、途中の林の分かれ道でひとつの兜(かぶと)を拾う。黄金作りの美々しいもので、まぎれもなく敵の大都督(だいととく)の戦冠である。

「さては東へ指して落ちたな……」

廖化は部下を糾合し、ただちにその方角を追撃させ、自身も東の道へと向かっていく。だが、司馬懿が逃げていったのは反対の西の道だったのである。

この戦冠は彼がわざと落としていったもので、とうとうまたなきこの機会を空しく取り逃がしてしまったのは、廖化のためにも蜀軍のためにも、実に惜しいことをしたと言うほかない。

(09)渭水 司馬懿の本営

司馬懿は日ごろ深く戒めながら、またも諸葛亮の策略にかかり、おびただしい損傷を自軍に受けた。

そこでこのように考える。

「これはよくよく考えると、孔明(こうめい。諸葛亮のあざな)の計に乗るというよりは、毎度、自分の心に惑い、自ら計を作ってはその計に乗っているようなものだ。孔明に致されまいとするなら、まずは自分の心に変化や惑いを生じさせないよう努めるに限る」

そしてまったく自戒の内に閉じこもり、ひたすら守勢を取って鉄壁に鉄壁を重ね、攻勢主義の敵に手も足も出せないような策を立てた。

(10)祁山 諸葛亮の本営

一面、蜀軍のほうは、「戦えばいつもこの通りだ」と非常に気勢を上げていた。廖化は、持ち帰った司馬懿の兜を示し大いに功を誇る。

「かくの通り、彼が兜を捨てて逃げ惑うほど追い詰め追い詰め、こっぴどく懲らしめてくれました」

姜維・張嶷・王平などもその夜の功を称え、おのおの勇み誇らぬはない。

「木牛流馬は1千余輛。それに積まれた糧米だけでも2万と2、3千石(せき)は鹵獲いたしました。これで当分、軍糧は豊かです」

井波版『三国志演義』(第103回)では、このとき蜀軍が手に入れた食糧は1万石余りとなっていた。

諸葛亮は各自に賞辞といたわりを惜しまなかった。けれど彼の心中には、拭(ぬぐ)いきれない一抹の寂しさがある。

今もしこの陣に関羽(かんう)のごとき者がいたら……。このような小戦果をもって誇りとするはおろか、とうてい満足はしなかっただろう。かえって慙愧(ざんき)叩頭(こうとう)して、その罪を詫びてやまないに違いない。

あぁ関羽なし、張飛(ちょうひ)なし。また幾多の旧幕僚もいつか減じ、ようやく蜀中に人はいなくなった。口には出さないが、諸葛亮の胸裏にある一点の寂寥(せきりょう)というのは実にそれであった。

彼には科学的な創造力も尽きざる作戦構想もある。それをもって必勝の信念としていたのである。けれど、ただ蜀陣営の人材の欠乏だけは、如何(いか)んとも補うことができなかった。

管理人「かぶらがわ」より

ネジや司馬懿の兜の話は『演義』の創作なのでしょうね。諸葛亮のアレを前に、ちょっと蜀側を盛っておこうという意図があるのかもしれません。ということもあってか、この第303話はコメントしにくい感じです。

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