吉川『三国志』の考察 第151話「狂瀾(きょうらん)」

長江(ちょうこう)南岸に本営を置く周瑜(しゅうゆ)のもとに、曹操(そうそう)から一書が届く。これを読んだ周瑜は魯粛(ろしゅく)の制止を聞かずに使者を斬り、諸将を集めて水陸の戦備について言い渡す。

ほどなく両軍は江上で激突したが、緒戦は孫権軍(そんけんぐん)の大勝だった。戦況を聞いた曹操は、もと劉表(りゅうひょう)配下の蔡瑁(さいぼう)と張允(ちょういん)を呼ぶ。

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第151話の展開とポイント

(01)三江(さんこう) 周瑜の本営

帳外から様子をうかがっていた諸葛亮(しょかつりょう)。劉備(りゅうび)の背後に関羽(かんう)が侍立しているのを見て、ひとまず安心する。

雑談の末、劉備はそばにいた魯粛を顧み、ここへ諸葛亮を呼んでもらえないかと言ってみた。するとすぐに周瑜が返事を奪い、話を脇へ逸らす。

劉備の袂(たもと)を引き、後ろからそっと目くばせする関羽。ここで劉備は、うまく席を立つ機をつかみ、別れを告げる。

あまりに鮮やかに立たれてしまい、周瑜もいささかまごつく。劉備と関羽を酒に酔わせ、この堂中を出ぬ間に刺殺してしまおうと、四方に数十人の剣士や力者(りきしゃ)を忍ばせていたが、合図する暇(いとま)もなかった。

周瑜も倉皇と轅門(えんもん。陣中で車の轅〈ながえ〉を向かい合わせ、門のようにしたもの)の外まで見送りに出て、むなしく客礼ばかり施した。

劉備が駒に乗って江岸まで急いでくると、水辺の楊柳(ようりゅう)の陰から諸葛亮が呼びかける。

諸葛亮は、自分のことは心配しないようにと言い、来る11月20日の甲子(きのえね)に、趙雲(ちょううん)に命じて軽舸(はやぶね)を出し、江の南岸で待たせておくよう頼む。今は帰らずとも、必ず東南の風の吹き起こる日には帰ると。

『三国志演義(3)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)の訳者注によると、「(11月20日の甲子は)正しくは壬申(みずのえさる)」だという。

劉備は、なぜ今から東南の風が吹く日がわかるのかといぶかる。これに諸葛亮は、隆中(りゅうちゅう)に住んでいたときは、朝夕の風を測って暮らしていたようなものだったと答えた。その程度は予見がつくとも。

(02)長江

劉備は船へ移ると、すぐに満帆を張らせて江をさかのぼる。50里ほど進んだところで、安否を気遣い迎えに来た張飛(ちょうひ)の船団と合流。

井波『三国志演義(3)』(第45回)では、劉備の船が数里も行かないうちに、上流からやってきた張飛の船団と合流している。

(03)三江 周瑜の本営

劉備が帰って幾日も経たないうち、周瑜のもとに、江岸まで曹操の使者の船が来ているとの知らせが届く。

先に書簡を見た周瑜は、自分が曹操の臣下のように扱われていることに激怒。魯粛の制止を聞かず使者の首を刎(は)ね、その首を従者に持ち帰らせた。

(04)長江

周瑜が戦備にかかるよう命ずると、甘寧(かんねい)を先手に、蔣欽(しょうきん)と韓当(かんとう)を左右の両翼として、四更(午前2時前後)に兵糧を使い、五更(午前4時前後)に船陣を押し進め、弩弓(どきゅう)や石砲を掛け連ねて待ち構えた。

一方の曹操も、使者の首を持ち帰った随員から周瑜の態度を聞き取ると、水軍大都督(すいぐんだいととく)の蔡瑁と(水軍副都督〈すいぐんふくととく〉の)張允を呼ぶ。

建安(けんあん)13(208)年11月、荊州(けいしゅう)で降参した大将を船手の先鋒とし、魏(ぎ)の大船団は三江を指して徐々に南下を開始した。

やがて夜は白みかけたが、濃霧のため水路の視野も遮られ、両軍は目前に迫り合うまで互いの接近を知り得ない。

蔡瑁の弟の蔡薫(さいくん)が甘寧を挑発したが、かえって石弩(せきど)の一弾に面をつぶされる。続いて一本の矢を首筋に受けると、舳(みよし。船首)をかむ狂瀾(きょうらん。荒れ狂う波)の中に吞み込まれていた。

蔡薫は、先の第123話(03)で出てきた蔡勲とおそらく同一人物。なお井波『三国志演義(3)』(第45回)では蔡壎とあったが、こちらも蔡勲と同一人物だろう。

ようやく靄(もや)が晴れると、両軍数千の船は陣々に乱れながらも、一艘(いっそう)も余さず見ることができる。ここに、ものすさまじい大血戦が展開された。

蔡瑁の船列は甘寧によって巧みに呉軍の包囲形の中に誘い込まれ、その船団がひとつずつ崩れだす。こうして曹操軍は散々な敗戦を喫した。甘寧は鉦鼓(しょうこ)を鳴らし、船歌高く引き揚げる。

黄濁な大江の水には、戦がやんでも破船の旗や焼けた舵(かじ)、無数の死屍(しし)などが洪水の後のように流れていた。それらの戦死者はほとんどが魏の将士だった。

(05)曹操の本営

曹操はこの日の戦況を聞くと、蔡瑁と張允を呼ぶ。

このとき曹操がいた場所がよくわからなかった。

管理人「かぶらがわ」より

危地を逃れ、夏口へ帰る劉備。そして江上の緒戦は曹操軍の大敗に――。蔡瑁の弟だという蔡薫(蔡勲?)は久々の登場でしたが、あっさり甘寧に討たれてしまいましたね。

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